Everything's Gone Green

感想などです

「この世界の片隅に」を見て思い出したこと

   映画「この世界の片隅に」を見た。正直パッと感想が固まる気分でもないので、この映画を見てなんとなく思い出したことを書こうと思う。

   思い出したのは母方の祖母のことである。母方の祖母はすずさんよりもちょっと年下で、いまでも存命で、祖父とともに岐阜の山の中で暮らしている。最近は1人で山に登って降りてくるのはさすがにキツいようだが、いまでも遊びに行くとやれ今年取れた落花生を炒ったものだとかこの間干した干し柿だとかお歳暮でもらった饅頭だとかを出してくれるし、驚異的な速度でお茶をいれてくれたりする。そもそもあの年代である程度田舎に住んでいた年寄りは驚異的によく働く。この祖母も、未だに家から近い畑の面倒は自分で見ている。起きて動いている間はなにかと働いていないと落ち着かない、そういう感じの人である。

 

   祖母が嫁いだのは地元でもそこそこの規模の豪農であった。曽祖父(つまり祖母からすると舅である)は地元で初めて洋装で外を歩いた人として有名で、昭和のはじめくらいまでは小作人に土地を貸し出しているような立場の人であったらしい。あったらしい、というのはこれらの土地は遠い昔にGHQの農地解体でバラバラにされてしまっていたからで、おれが生まれたころはおろか、おれの母親が生まれたころには「そこそこでかい百姓の家」という程度になっていた。曽祖父はずっとGHQの悪口を言っていたらしい。

 

   祖母がその家の嫁さんとして選ばれた理由は、「とにかく頑丈でよく働きそうだから」というものだったらしい。まるで農機具感覚である。旦那さん、つまりおれの祖父は前述の家の三男坊であった。三男なのでもともとは家督を継ぐ立場にはないが、出征した上の2人の兄が死に、繰り上がる形で家を継ぐことになったという。祖父にその上の兄らが戦死しいよいよ戦局が差し迫った時にどう思ったか聞いたことがあるが「おれもボチボチかなあ、と思いつつ、裏の山に登って蔵で見つけた日本刀を振り回して竹を切っていた」というもので、なるほどそんなものかなあ、と思ったのを覚えている。今思うと祖父なりに切羽詰まった思いもあったのではと思うが、切っていたのは竹である。まあそのへんにたくさん生えてるもんな、竹……。この祖父は変わった人で、若いころは緑色の革ジャンを着て山羊髭を生やし、単車に乗ってそこらを走り回っていたとのことで、まことに祖母の苦労が偲ばれる。おれが生まれたころには酔うと話の規模がでかくなる(大抵最後は宇宙規模になる)ただの好好爺になっていたので、祖父がイージーライダーみたいな感じだったころのことはおれは知らない。

 

   祖母に戦時中のことを聞いてみたことがあるが、それほど差し迫ったものではなかったようだ。要約すると「防空壕に出たり入ったり、という訓練はしたものの、このあたりは田舎だから特に空襲にあったということもなく普通に畑の面倒をみたりしているうちに戦争は終わっていた」という感じであり、戦時中のエピソードとして特に際立ったものは聞いたことがない。実際特になにもなかったのだと思う。今ではリフォームしてしまったが、おれが小学生のころまでは戦前どころかいつから建っていたのかいまいちよくわからない家がそのまま残っており、焼けたり建物疎開にあったり、ということが特になかったのがその照明であるように思う。

 

   そんな祖母だが、いまだに思い出話をする時に鋭い目つきになるエピソードがある。「1人で餅をついた」という話である。ちなみに戦後の話ではあるらしい。地味だ。

 

   ある日、舅(つまりおれの曽祖父)が、いきなり餅を食べたいと言い出した。時期は正月でもなんでもなく、餅の備蓄なんてどこにもない。知っての通り、餅というのは餅米を臼と杵で突いて作るが、その前にも釜とせいろを準備して火を起こし餅米を蒸す……というような準備段階がいろいろとあり、けっこうめんどくさい食い物である。今のような餅つき機などない。姑に手伝いを頼むなどもってのほか、旦那も単車に乗ってどこかへ出かけてしまっている。

 

   祖母は仕方なしに、とりあえず釜とせいろを用意し、餅米を蒸し始めた。餅を突く時はこの蒸した米を臼にあけ、熱いうちに杵の先で米粒を潰してなんとなくひとかたまりの状態にし、それから皆知っている餅つきの動作になる。すなわち、杵でぺったんとついては横に控えている人がその餅を返し、またついては返す……というのを何度も何度も繰り返えすことで、あのネバネバした餅になるのである。祖母はそれを全部1人でやった。すなわち、1人で杵を振り下ろしては臼に近寄って餅をひっ繰り返し、また杵に戻って1回ついては臼に近寄ってひっくり返し……というのを、なんと3臼(臼一回分の餅の単位としてうちの実家では1臼、2臼という言い方をした)も繰り返したという。驚愕の労働量である。めでたく突いた餅を、曽祖父は食ったそうだ。その時の感想がどういうものであったのか、祖母はなんらかの形で労われたのか、おれは詳しいことは知らない。知らないが、「あれは本当に大変やった」と数十年が経過しても鋭い目つきで回顧する祖母の姿からなんとなく察することはできる。さぞかし大変だったのだろうと思う。絶対にやりたくない。

 

   「この世界の片隅に」を見て思い出したのは、この祖母のことであった。感想がまとまらないので、とりあえずこれを感想の代わりにしておく。