Everything's Gone Green

感想などです

矢吹丈対キングコング 「キングコング 髑髏島の巨神」

※「キングコング 髑髏島の巨神」のネタバレをしておりますので気をつけてください

 

 

 

1970年代の前半、世界のいろいろなところで人類は挫折していた。アメリカはベトナムで挫折し、日本では新左翼が挫折し、ミュンヘンではオリンピックまで大変なことになった。ソ連が挫折するのはもうちょっと先だけど、なんとなくおしなべて「あ〜〜あ……」という空気が漂っていた。

 

そんな挫折まみれのシケた時代のド真ん中、米軍の撤退真っ最中のベトナムはダナン基地でやっぱり「あ〜〜あ……」とくすぶっている男が1人。ベトナムで猛威を振るった陸軍のヘリコプター部隊の将校、プレストン・パッカードことサミュエル・L・ジャクソンである。結局負け戦になっちゃったベトナムから撤退しても、その後の展望もなにもない。国に帰っても反戦運動家から石を投げられるだけ。もっと己の全てを賭けられるような戦場は、真っ白な灰になって燃え尽きることができるような相手はいないのか……。そんな彼の元に「今からちょっと南太平洋の孤島に調査にいく民間人を運んでくんね?」という任務が舞い込む。「もう一回遊べるドン!」とテンションの上がったサミュエルは嫌がる部下のケツを蹴り、UH-1に乗ってスカルアイランドという新たな戦場に赴くのだった。

 

島を取り囲む嵐の中をなんとか飛び越え、ブラックサバスをガンガン流しながらいい気になって爆弾なんかをポンポン落としちゃうサミュエル。しかしそこに巨大な丸太が飛んでくる! なすすべなくブチ落ちるUH -1! 驚愕するサミュエルの前に現れたのは、なんと全長30mを超える超巨大なゴリラだった……!! 目の前でどんどん撃墜される彼のヘリと彼の部下。こんなのベトナムでも見たことないぜ! サミュエルが乗っているヘリも叩き落とされ、彼は一敗地に塗れることになる。

 

その時まさに、サミュエルのハートに火がついてしまうのである。さながらベトナムという力石徹を失った矢吹丈みたいな状態だったサミュエルが、クソでかいゴリラ=コングというカーロス・リベラを目撃してしまったのだ! 完全になにかに取り憑かれた人間のテンションでコング追撃を決意するサミュエル。瞳はキラキラ、元気は100倍。サンドバッグに憎いあんちくしょうの顔が浮かんで消える。叩け! 叩け! 叩け!!

 

かわいそうなのはサミュエルの部下だ。もし矢吹丈に部下がいたらどんなことになるか、想像してみていただきたい。あんなにテンションが乱高下する上司、絶対に嫌だ。しかしサミュエルはヘリ部隊の将校である、矢吹丈なら振り回されるのは丹下のおっちゃんやマンモス西くらいだが、サミュエルは「帰りたい」と顔に書いてある部下の兵隊たちを引き連れ「西の山に武器を積んだヘリが落ちたから拾いに行くぞ!」とイヤ度1000パーセントの命令を出す。そう、全てはサミュエルが真っ白に燃え尽きるために……。

 

そんなわけででかい蜘蛛やでかいトカゲ(この映画は「生き物のサイズがでかくなるとキモくて怖い」という強力な理論で貫かれております)と戦い、ハチャメチャな犠牲を出しながらも武器を手に入れ、コング迎撃の準備を固めるサミュエル。そして実際に彼はコングをあと一歩のところまで追い詰める! しかしここでトム・ヒドルストンやカメラマンのおねーちゃんや第二次大戦中にスカル島に不時着したおっさんがワラワラと現れ、「おまえコングと戦うのやめろ」と止めに来るのである! まさに「お前のためを思って」とか言いながらいらんタイミングでタオルを投げようとする丹下段平、頼んでないのにパンチドランカーを疑って医者を呼んでくる白木葉子そのものである。ノーガード戦法を取りつつ「邪魔すんなよおっちゃん……こっちは男と男の勝負をしてるんだぜ」と嘯くサミュエル。おれもこのあたりのシーンは「邪魔すんじゃねえ! サミュエルが頑張ってるじゃねえか!」と喉元まで声が出そうになった。

 

得意のクロスカウンターとナパームを撒き散らして水面に火をつける戦術を駆使するも、邪魔が入ったことで結局はコングに敗北するサミュエル。しかしベトナムのような不完全燃焼ではなく、コングとの真剣勝負は彼を真っ白な灰になるまで燃え上がらせた……。「キングコング 髑髏島の巨神」でのサミュエル・L・ジャクソンは梶原イズムの継承者、黒い矢吹丈であったことは間違いない。「親のある奴はくにへ帰れ 俺とくる奴は狼だ 吠えろ! 吠えろ! 吠えろ! 俺らにゃ荒野がほしいんだ」という「あしたのジョー」2番の歌詞は、絶海の孤島でコングと真っ向から戦ったサミュエルのためのものなのだ。

滝山団地に行ってきた

 先週末の3月11日、東久留米のあたりにある巨大団地、滝山団地に行ってきた。なんでかというと、聖地巡礼である。

 

滝山コミューン一九七四 (講談社文庫)

滝山コミューン一九七四 (講談社文庫)

 

 

しばらく前に読んだ『滝山コミューン1974』という本がめちゃくちゃ強烈だったので、これは是非とも現場を見にいかねば!と思い、マイメンのブンちゃん(https://twitter.com/state_steven?lang=ja)といっしょに見に行ってきたのであります。

 

 『滝山コミューン1974』は1970年代にこの滝山団地に住み、団地に隣接した東久留米市立第七小学校に通っていた筆者が負ったトラウマと、それがいかにして生じたのかを綴った本だ。1970年代当時、民主的で集団行動に対して自覚的かつ自主的に取り組む子供を生み出すにはどうすればよいか、という命題に向かって教師と親が善意から愚直に学校のシステムに介入し、その結果著者やその他の子供達がどういう目にあったかが詳細に描かれている。その内容をここで一言で言い表すのは至難の業である。できれば本を買って読んでみてほしい。

 

 花小金井駅で降りて西武バスに揺られること20分あまり。滝山団地の入口で降りる。ブラブラ歩いていくと、そのうちに団地が見えてくる。

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 話に聞いてはいたが、滝山団地の威容は本当に凄まじい。歩いても歩いても同じ形の建物がずーーーっと続いて建っており、しかも周囲の住宅街とは隔絶した立地になっているので、団地の中にいる限り団地の建物以外がほとんど視界に入ってこない。いけどもいけども団地。遠近感が狂いそうになる。

 

 事前にブンちゃんと軽く話していたのが「団地の中に商店街のようなものがあるらしいので、せっかくだからそこで昼飯を食おう」という算段だった。しかしあまりにも団地ばかりでどこにそんな商店街があるのかわからない。ウロウロしているだけの我々を不審に思ったのか、自転車をひいたお婆さんが「どこのお宅を探してるの?」と話かけてきた。「昼飯を食おうと団地の商店街を探していまして……」と答える我々。

 

 「それならこっちだよ!」と道を教えてくれるお婆さん。どうやら歩いていく方向が同じようなので、三人でダラダラと歩いていく。道すがら聞けばお婆さんは40年前、団地ができた当初から住んでいるという。滝山団地は分譲と賃貸で区画が分かれており、全部の世帯数は4000あまり。お婆さんは今でも団地の自治会に属しており、その自治会は自由参加ながらいまだに1600世帯程度が参加しているという。4000! 途方も無い。

 

 お婆さんは一見すると70歳そこそこに見えたが、よくよく聞くとすでに80歳をまわっているという。それでも自転車をひいて自分で買い物に出向くのだから大したものだ。曰く、団地の自治会でも高齢化対策的な部署の設立を強く訴えかけ、自治会の選挙の上でその部署のトップに選ばれたのだと胸を張る。その話を聞いて内心おれは非常に興奮していた。なんせ『滝山コミューン1974』の非常に重要な要素として小学生の子供達が選挙によって相互に争い、生徒会の主要ポストをどのクラスが占めるかで追い詰められていく描写があったからだ。選挙! 高齢者だろうが小学生だろうが、滝山団地では全てに選挙が適用されるのである! 正直1970年代からの風習(?)がここまで色濃く残っているとは思わなかった。

 

 お婆さんに団地内の商店街付近で昼食をとれる場所がないか聞いてみると、「ドンキホーテ」という喫茶店がよいと教えてくれた。何十年も前だがその店にフォークソングのバンドを呼び、団地住人のレクリエーションを企画したことがあったのだという。フォーク! 住人のレクリエーション! そんなことをやっていたのか滝山団地。お婆さんの話を聞くと住人の相互理解と意識の統一を狙ったもののようだったが、近所の喫茶店に行くたびにそんなものに巻き込まれていてはたまらんなあ、としみじみ思った。「昔は住人で連れ立ってお茶を飲みに行くことも多かったからこのあたりには喫茶店も多かったけど、今ではドンキホーテだけになってしまった」というようなことをお婆さんは言っていた。そのレクリエーションに協力してくれたのが「二本松はじめ」という人で、当時は市の職員か何かだったが、今ではシンガーソングライター的な感じで全国を飛び回り平和のために頑張っているのだ、とお婆さんは熱っぽく語った。

 

 他は団地付近の公民館のような施設の中に喫茶店があるのだという。が、その店の話をする時にお婆さんのテンションが一段下がった。曰く、その店には行政的な雇用対策の一環として障害者が雇われており、その障害者が皿の置き方は荒いわ、客にお尻を向けてぼーっと立っているわで、非常に感じが悪いのだという。「こんなことを言うのはよくないけど」と前置きしつつ、お婆さんはその障害者の従業員に対する不満を我々2人に言い続けた。

 

 ここでおれはなんだかよくわからなくなってしまった。この人が言っていることはナチュラルな障害者差別である。しかし、この人は選挙と民主主義と日本国憲法を非常に強く推している人物であることは言葉の端々から伝わってきていた。にも関わらず、働いている障害者の勤務態度について雇用者でもないのに随分と文句を言っている。おそらくこのあたりの矛盾にこの人は気がついていない。ここでおれが「ちょっと変じゃないですか」と言っても特にどうもならない。それでもとにかく「なんとなくイヤな感じ」だけは残った。そりゃ確かにその従業員は本当に不快なのかもしれないが、それは別に障害者その人が悪いわけではないのかもしれない。そしてお婆さん自体も別に悪人ではない。なんせ通りすがりの不審な男の二人連れに道を案内してくれるほどなのである。なんだかなあ……。

 

 ウンウン唸りながらおばあさんと分かれて、教えてもらった「ドンキホーテ」へ向かう。その店は確かに1970年代から時間がとまったような店だった。

 

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 窓に輝く「ドン キホーテ」の文字。かわいい。

 

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 喉が渇いたのでビールを頼んだらカールスバーグが出てきて驚く。真ん中のはカツサンド。横に添えてあるピクルスの粋な感じが本当にグッとくる。

 

 このドンキホーテという喫茶店は喫茶店としての機能のほかかなりちゃんとした食事も出すパワーもあり、おまけに手塚治虫の漫画を多数揃えているという本当に素晴らしい店だった。オールドスクールな喫茶店の楽しいところ全部乗せみたいな店。

 

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 店先ではサンドイッチも売っている。包みのビニールの書体がかわいかったので満腹なのに卵サンドを買ってしまった。

 

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 腹が膨れたので団地の商店街に戻る。あまりにもファッション性がありすぎるクリーニング店の窓。この商店街は万事がこの調子で、本当に時が止まっている。

 

 一応聖地巡礼なので、『滝山コミューン1974』の主要な舞台である七小も見に行きたい、ということで道を間違えたりしつつダラダラ歩いて七小まで。校庭では少年野球の練習をやっていた。とにかく小学校自体が団地からすぐ近くの立地だったのに驚く。『滝山コミューン1974』には母親たちがPTAの活動に熱心になり、普段着のままで学校に詰めかけるという描写があったが、それもこの距離なら納得である。

 

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 七小の校門。さすがに中には入れなかったし、よく考えたら別にそんなに入りたくない。

 

 このあたりで飽きてきたので団地を離脱、帰りにホビーオフ(ブックオフのオモチャ・プラモデル版みたいなやつ)で山口勝久が原型をやってた時のケンシロウのフィギュアとタナカのグロック17のモデルガンなどを買い、所沢の世界の山ちゃん手羽先を食って帰った。そして数日後の今日、二本松はじめさんが憲法の大事さや東京大空襲の悲惨さなどを歌っているアルバムを聞いて頭を抱えている。これらの曲を勧めつつ団地の自治会で根回ししたり立候補したことを誇り、なおかつ障害者の仕事ぶりをヤイヤイ言う心性は正直おれにはわからない。戦後民主主義って一体なんだったんだろうね……。とりあえず滝山コミューン現役世代は当時のノリのまんまバリバリやってるということだけはよくわかったのだった。

3/5に見た映画

アシュラ

極悪市長! 姑息な検察! ダーティコップと重病の妻! 陰謀! 癒着! 暴力! でかい鉈と手斧! 情念! 暴力!

……といった要素を全部ぶちこんでミキサーにかけて公衆便所の床(タイル張り)にぶちまけたようなド傑作。やっぱり韓国のヤクザ映画は暴力一発一発に到るまでの情念の積み重ね方が上手いですね。情念情念アンド暴力。親分に対するものや兄弟分に対するもの、浮世の義理が呼び寄せてしまったものやそれ以外。全てに対して「こうなることはわかっていた。これ以外にどうしようもなかった」という破局に向けて全力疾走するおっさんたちの姿が眩しすぎた一本。

 

 とにかく極悪な市長役のファン・ジョンミンが絶妙に悪くて、ニコニコしながら人間をバリバリ殺す指示を出せるおじさんの役だったんですけど、「ベテラン」のあの型破りな刑事と同一人物とはとても思えない極悪ぶりでした。あと主役の汚職警官がストーリーがすすむにつれてあからさまにくたびれていくのがすごくよかった。超悪い市長とクソみたいな検察の板挟みになる役なんでそりゃあくたびれてないとおかしいんですけど。あと、ストーリーを転がす小道具としてスマホがバリバリ登場するのが印象的でした。多分警察の仕事とかスマホなしでは成り立たないんだろうなあ。

 

 「新しき世界」より泥臭く、「県警対組織暴力」並みに面白い取り調べシーンがあり、血みどろの情念はてんこ盛り。破滅に向かって突き進む暴力暴走特急。最高でした。

 

お嬢さん

 日本統治下の朝鮮半島で女の性欲と女の性欲がぶつかり合う! ところがその背後には巨悪がいたので女の性欲がツープラトンでぶっつぶす! みたいな映画。

 

 なんとなくなんだけど、「座頭市対用心棒」というか「マジンガーZゲッターロボ」というか、そういう感じの印象があった映画なんだけど、女性同士の感情の機微を追いつつめっちゃエロいシーンもあり(レズセックスなんですよ、これが)。隣で見ていた韓国系の女子2人がケラケラ笑いながら見ていたのが印象的でした。

 

 しかし主役2人が統治側の男性によるクソどす黒い欲望(春画のテキストを音読させたりする)をすり抜けていく痛快なストーリーではあるのですが、その男性側のやらせていることがなんとなく馬鹿馬鹿しい感じに見えるように描写されていたのが印象的(自動障子開閉装置や体位再現用木人が天井から吊られて出てくるところなど)だったんだけど、あれ多分ガチで描写すると全く笑えない感じになるからなんだろうなあ、という感じ。多分なんというか、強姦に近い描写になりますよねあれ。まだ変な朗読会の描写で済ませたというのは、作り手側の気遣いだったのかなと思ったっす

2/26に見た映画

このエントリはトリプルX;再起動とマン・ダウンのネタバレを含みます! 注意してください!!

 

トリプルX:再起動

 トリプルX ネクストレベルで「ザンダー? アイツ死んだよ?」って言われてしまったヴィン・ディーゼルことザンダー・ケイジさんは実は生きていた! 今度の敵はドニーさんと女スパイとトニー・ジャーと、あとなんか力持ちっぽい大柄な人だ! だからザンダーさんも仲間を集めた! 仲間は女スナイパーとパリピキチガイのスタントマンだ! 自家用大型輸送機を乗り回して南国とかで戦うぜ! という映画。

 

 例によってドゥンドゥン鳴り響く音楽にのっていろいろエクストリームな種目にザンダーさんが挑戦し、世界は救われるのだが、この映画で衝撃的なのが「製作陣がトリプルX ネクストレベルのことを忘れていなかった」という点である。トリプルX ネクストレベルは初代トリプルXの続編として製作され、主演は元N,W,A、現俳優のアイス・キューブ。盗難車を乗り回した黒人たちがアメリカの国会議事堂を包囲する名場面は涙なしでは見られない、人種問題を逆手にとった快作なのだけど、日本ではDVDスルーだった映画だ。

 

 今回の主演がヴィン・ディーゼルだっていうから、ネクストレベルの二代目トリプルXであるダリアス・ストーンことアイス・キューブはなかったことになっちゃったのかな〜〜〜〜と思ってたんだけど、なんと! めちゃくちゃいいタイミングで! ストーンが出てくるんですよ! 「再起動」で! グレネードランチャー片手に! 正直前半戦は見ててかったるいし映画館でちょっと寝ちゃったんだけど、このダリアス・ストーン登場シーンだけでおれは全てを許しましたね。トリプルXシリーズを見続けていて(今作を入れても3本しかないけど)よかった……。

 

 しかしそれにしてもトリプルXの仲間増えすぎというか、「お前もお前もお前もトリプルX!」ってそんなガバガバな認定基準でいいのか、プリパラにおける「アイドル」くらいのユルさになってないか、とは思いました、さすがに。これじゃあお前ワイスピと見分けがつかねえよ、と思ったんだけど、これアレか、ワイスピのシリーズ終了後にはこっちで稼ぐつもりかヴィン・ディーゼル。さすがですね。

 

 あとメガネ着用でクソ早口のオタク女子(007でいうQの役)で出てきたニーナ・ドブレフが死ぬほどかわいかったです。以上。

 

マン・ダウン

 アフガニスタンからの帰還兵であるシャイア・ラブーフが家に帰ってきたらなんかアメリカ全土が焦土と化しててなんで? 息子と嫁はどこ行った? って右往左往すると同時に、彼がアフガンでなにを見たのかが徐々に明らかになるという映画。

 

 あらすじを読んだだけで「ははあ、なるほど、兵隊のPTSDを扱った映画なのね」と大体予想はつくんだけど、そのネタが割れてからの「で結局この映画どこに決着するの……?」という、観客の揺さぶり方がうまかった。髭面のシャイア・ラブーフが完全に錯乱して大暴れしつつも、基本的には帰還兵問題のアレなところを延々見せられる映画。やっぱ戦争よくないですね、マジで。

2/18に見た映画

愚行録

 いわゆるイヤミス(っていうらしいっすね、最近は)的な映画なんだけど、突出して後味が悪くて楽しくなってしまった。とにかく撮影が抜群にうまくて、冒頭のバスのくだりとかは唸ってしまった。主人公である取材者が関係者に色々聞いていくことで平和な家族が皆殺しにされた事件の真相が明らかになっていく……という、「凶悪」とかと似通った作りの映画ではあるんだけど、その関係者の話というのがほとんどはてな匿名ダイアリーに書いてあるような、瑣末なんだけど人間関係のエグみに満ちた内容のものばかりで、見ていて大変楽しい。ほとんど増田殺人事件である。加えて「不注意で自分の名刺の名刺の上に酒のグラスを置かれてしまう」「これから話す人間が部下に対してけっこうねちっこく叱責をしている現場を見てしまう」といった小粒だけど気になる細かくイヤなシーンの入れ込み方がすごくよくて、ああ、いやだなあ、これは本当にいやだなあ、とニコニコしながら見てしまった。

 

 あと、満島ひかりはすごいですね。劇中の満島ひかりの喋り方が全部句読点の打ち方がおかしいというか、息継ぎのタイミングがすごく変で、ぱっと見普通なのに完全に頭のネジが外れている人っぽい話し方になっててほんとすっげえなと思いました。

 

ナイスガイズ!

 監督シェーン・ブラック、製作ジョエル・シルバーということで、まあこの時点で一定以上は面白いでしょ、という映画。最近は「おれはおっさん2人がイチャイチャしながら巨悪と戦う映画とかが好きなんだよ!」と言ってもキモがられないからいいんですけど、おっさん2人がイチャイチャしながら巨悪と戦う映画です。とにかく「人が死んだり痛い目にあうシーンを面白く演出してやろう」という意図がビリビリ感じられて愉快。あと1977年って時代設定とそこからくる物語上の展開も絶妙に上手い。

 

 本作でのラッセル・クロウなんだけど、とにかく腕っ節でトラブルを解決する何でも屋みたいな役で、これがなんというか、『あしたのジョー』のゴロマキ権藤と野生のヒグマの合体超人みたいなタフさ&体格で、異常にパンチ力のある森のクマさんという感じ。それがヒョロヒョロで口だけは達者なライアン・ゴズリングとコンビを組んでドタバタするんだから楽しいったらない。ライアン・ゴズリング演じるダメ探偵の娘役のアンガーリー・ライスちゃんもめちゃくちゃキュートではありますが、とにかくおっさん2人がワチャワチャしてる絵面の方がキュートさでは上だったかな……という感じ。面白かったです。

 

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ヒグマ。

 

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ゴロマキ権藤。

 

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そしてジャクソン・ヒーリー(ラッセル・クロウ)。

 

似てると思うんですけどね。

2/16に見た映画

グリーンルーム

 売れないパンクバンド「エイント・ライツ」。ポシャった出演依頼の代わりに彼らが請けたのは、山の中の辺鄙なライブハウスでの演奏。彼らが車で移動してみると、なんだかライブハウス(ほとんどコンクリ打ちっ放しの山小屋みたいな建物です)のまわりには見るからにネオナチなスキンヘッドがウヨウヨ。おまけに一発目に演奏したのがデッドケネディーズの「Nazi Punks Fuck Off」だったもんだから客席の空気は最悪に。エイント・ライツのメンバーはさっさと帰ろうとしたんだけど、楽屋(グリーンルーム)に置き忘れた携帯を取りに行ったところスキンヘッドたちの内輪揉めで発生した殺人現場を目撃! 目撃者を皆殺しにしようとするスキンヘッドたちから、果たしてバンドは逃げ切れるのか! という映画。

 

 こういうあらすじだけ見ると「フロム・ダスク・ティル・ドーン」みたいな、ポップでバッドテイストな映画っぽいんですけども、実際には狭い室内に監禁されたパンクバンドとその外でなんとか目撃者を皆殺しにしようと画策するネオナチとの間の駆け引きが描かれており、内容は緊迫緊迫アンド暴力。タランティーノロバート・ロドリゲスが出てくると思っていたら平山夢明とボストン・テランが出てきたって感じ。

 

 そこでこいつ死ぬの!? みたいな、登場人物が死ぬ打順自体がどんでん返しみたいになっている感じがあり、次に誰が死ぬのか、どうやって圧倒的不利(なんせネオナチチームは鉄砲をゴロゴロ持っているけどパンクバンドチームは割れた蛍光灯とか消化器とかしか武器がないのだ)をひっくり返すのかというのは見てて大変面白かったです。あと、ネオナチのボスを演じているパトリック・スチュワートがめっちゃくちゃ怖い。部下のスキンヘッドたちにはほのめかすような指示しか出さず、しかし目撃者の抹殺には全力を尽くすという極め付けの悪役を、とても元プロフェッサーXとは思えない悪辣さで演じておりました。

 

 あと、前半1/4くらいの、普通にバンド活動をしている時のエイント・ライツがすごくキラキラした青春ものっぽく撮れていて、血みどろの後半戦との落差がすごかった。ガソリンを盗んだりシケたダイナーで無理やり演奏したりショボいFMの取材を受けたりと、あの前半のまともなバンド活動シーンがあったからこそ、後半で血まみれになるイェルチンくんの姿が光り輝いて見えておりました。ただ、セリフとかで状況を一切説明してくれない映画なので、その辺は集中力が必要。というかおれは集中しててもわからないところがいくつかあった。もうちょっといろんなとこが親切だとありがたかったかも。

 

 

サバイバルファミリー

 これは本当に良作! フジテレビの映画だし主演が小日向さんだしで、ヌルめのコメディかなと思っていたらなんのなんの、おれが間違っていた。ネタ的には「ある日いきなり世界から電気が消えてしまったら、果たして日本の一般家庭の人々はどうするのか」という、もうその一点張りで突っ込んでいく映画なんだけども、とにかくその「電気が使えない」という状況を極限までリアルっぽく(実際にどうなるかとは別問題で)研ぎ澄ますことでお話をドライブさせていくタイプの映画でした。予告にもあったコメディっぽい要素として「腹を壊した小日向さんが野糞をする」というシーンがあるんだけど、これ劇中では何の取り柄もなくてお荷物っぽくなっちゃったお父さんが虚勢張るために子供に向かって「お前らヤワだな〜」とか言って生水をグビグビ飲んだ結果ですからね。笑うに笑えない。

 

 仕事にかまけっぱなしの父親、ろくに会話もしない息子と娘、魚も捌けない主婦、という東京に住む4人家族が、ある日世界中でいきなり電気が使えなくなった(これが本当に「全部」で、電池とかそういうのも全部ダメ)ことでとりあえず食い物や気候に恵まれた母方の実家のある鹿児島を目指す、という簡潔なストーリー。なんだけど、この映画、昨年の「シン・ゴジラ」となんだか合わせ鏡のような内容。

 

 東京という都市に全てを超越した圧倒的存在が"いきなり現れる"ことで人間が試されてしまうシン・ゴジラと、電気という目には見えない都市生活の屋台骨を支える存在が"消えて無くなる"ことで人間が試されてしまうサバイバルファミリー。日本という国の最高意思決定機関を作劇の中心に据えたシン・ゴジラと、普通のサラリーマン家庭という日本の最末端の人間集団にフォーカスしたサバイバルファミリー。という感じで要素自体は好対照なんだけど、どっちも東日本大震災を経由していないと絶対に作れない絵面がバンバン出てくるし、その「試される経過」を通じてキャラクターたちが成長するという(まあこれは映画なんでそういうものといえばそういうものなんですけども)部分も同じ。あと、シン・ゴジラもサバイバルファミリーも、ディテールを描写できるギリギリまで研ぎ澄ますことでストーリーを駆動させる映画だった。なんたってサバイバルファミリーでは電気がなくなったことで同じマンションの独居老人が孤独死する描写まであるのだ。相当突っ込んでる映画だと思う。

 

 あとこの映画、びっくりするくらい劇伴というか、BGMがない。基本ず〜っと環境音。4箇所くらいの場面では音楽が乗っていたけど、とにかく音がないのである。フジテレビの映画なんだし一箇所くらいタイアップした挿入歌とか入るのでは……と思っていたんだけど、そういう要素一切なし。それもやっぱり可能な限り「電気がない」という状況を生々しく描写しようという意図が感じられてよかった。そういえばシン・ゴジラもBGMの極端に少ない映画でしたね。

 

 もうひとつ印象的だったのが、去年のもうひとつの国産映画の傑作「アイアムアヒーロー」とよく似た絵面(車が止まった道路の真ん中を避難する人たちとかその他諸々)がバンバン出てきて、そうか電気がなくなると絵面がゾンビ映画みたいになっちゃうんだ……という気づきもあった。

 

 そういえばこの映画、途中で一箇所藤原紀香が出てくるんだけど、これだけ生々しい描写を積み重ねている映画なのに藤原紀香が出てくる場面だけ、紀香が言っていることも紀香の服装も紀香の動きも、全てが浮世離れした感じになっててめっちゃ面白いです。これが紀香魂……と感心してしまった。この藤原紀香が本当に面白いので、そのためだけにでも見てほしい。見た人はおれと藤原紀香の話をしましょう。

Dr.ストレンジ 恐怖の力道山道場

 アメコミ映画「Dr.ストレンジ」を見てきました。そのDr.ストレンジの話です。ネタバレを含むので見ていない人は読まないでください。

 

 

 死ぬほど傲慢な俺様野郎ながら将来を嘱望された天才外科医スティーヴン・ストレンジ。完全に調子こいていた彼は車の運転中にふとやってしまったながらスマホが原因でハチャメチャな事故を起こし、回復不可能なほど両手がズタボロになってしまいます。治療中にもリハビリの担当者を「お前ただの大卒やろ。おれの学歴はすごいねんで!」と見下しまくっていたりする彼ですが、手が動かないのではどうにもならないので荒みまくった上に貯金もなくなり、噂を頼りにネパールはカトマンズにある謎の寺院「カマー・タージ」に足を踏み入れ、そこでのちに彼の師匠となるエンシェント・ワンと邂逅。厳しい修行の末に幽体離脱とかなんか手から魔法陣みたいなのを出したりとか通り抜けフープみたいなのを操ったりとか、そういうのをできるようになるのであった……という、なんか「Dr.ストレンジ」はそういう感じのお話なんですけども。

 

 我々はもう一人、将来を嘱望されながらも事故でその道を断たれ、そして別ルートで大成した男を知っています。

 

 

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 そう、ジャイアント馬場です。新潟の三条実業高校在学中にスカウトされ読売ジャイアンツの投手となり、二軍と一軍の間をいったりきたりしていた馬場でしたがジャイアンツを解雇されてしまいます。その後大洋ホエールズのキャンプにテスト生として入団した馬場は、ある日宿舎の風呂場で石鹸を踏んで転倒、肩を負傷するという投手としては致命的なダメージを負ってしまいます。

 この怪我が元で野球界をさった馬場。「金がない」という理由で入ったラーメン屋で一人寂しくラーメンを食っていたところ、テレビで放送されていた力道山のプロレスの試合に目を奪われます。「大男の自分が飯を食うにはこれしかない!」と一念発起、藁をも掴む思いで力道山道場の扉を叩くのでした。

 

 どう見てもDr.ストレンジではないでしょうか

 

 映画「Dr.ストレンジ」にはいつまでたっても通り抜けフープみたいなやつを出せないストレンジくんに対し、師匠のエンシェント・ワンは自分の通り抜けフープでストレンジくんをエベレストのてっぺん付近に連れていって着の身着のまま放り出し、「戻ってきたかったら頑張って通り抜けフープみたいなやつを出しなさい。ちなみにそのままだと30分くらいで死にます」と、死に物狂いで練習させるシーンがあります。

 

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 ジャイアント馬場もこれにめっちゃ似ている目にあっています。馬場の練習から「こいつには死に物狂いの力が足らん」と見切った師匠力道山の手により、手足が動かないほどのバーベルを括り付けられた馬場はそのまま便所に蜂の巣と一緒に置き去りにされます。蜂に刺されるのが嫌なら死に物狂いになってバーベルを動かして逃げろ!という、さすがにちょっとどうなんですかというしごきなのです。エベレストに置き去りにされるのもつらいけど、これもけっこうキツいぞ!

 

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 案の定蜂に刺されまくる馬場。

 

 

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 「死に物狂いの力」でほんのわずかだがバーベルを動かす馬場。どうでもいいけど蜂が刺すたびにいちいち書いてある「チク」「チクッ」っていう擬音がかわいい。

 

 

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 頑張れ馬場!出口まであと少しだ!!

 

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 なんとか脱出に成功した馬場は晴れてプロレスラーとしての第一歩を踏み出すことになるのでした。めでたしめでたし。

 

 これ、映画見た人はわかると思うんですけど、Dr.ストレンジの通り抜けフープ習得シーンの雰囲気とめっちゃ似てるんですよ!特にこの力道山が他人事みたいに「だいぶさされたのう」っていう感じのノリと、なんとか道場まで戻ってきたストレンジくんに対するエンシェント・ワンの態度の感じがめっちゃ似てる!嘘じゃないんだよ!

 

 さらに映画の中盤、清廉潔白だと思っていたエンシェント・ワンが実は暗黒時空の暗黒パワーみたいなやつのおかげで寿命を引き延ばしていた(力道山もヤクザや右翼やフィクサーや国会議員がひしめく暗黒時空から暗黒パワーを引き出していた)とか、エンシェント・ワンは結局悪いやつに刺されて死ぬ(力道山も赤坂のナイトクラブ「ニュー・ラテンクォーター」で住吉一家傘下の大日本興行構成員村田勝志に刺された傷が元で死んだ)とか、エンシェント・ワンの力道山度数がめちゃくちゃ高くなっていくわけです。この時点でああもうこれ力道山じゃんと確信しました。

 さらにこの映画にはDr.ストレンジとは同門の兄弟弟子でありながら最後には袂を分かち暗黒面に落ちてしまうモルドさんという人が出てくるんですけども、もうこの人立ち位置からして完全に猪木じゃないですか。つまりこの「Dr.ストレンジ」という映画は馬場正平ジャイアント馬場となり、さらに同門の兄弟弟子だった猪木と対立するまでを駆け足で追った映画なのです。MCU、まさか力道山と馬場・猪木という日本人が大好きな要素まで取り込んでくるとは思わなかった……。

 

 ちなみに実質コミック版Dr.ストレンジと言える漫画「ジャイアント台風」ですが、文庫版が2002年に出版されております。さっきの蜂の巣のシーンは元より、エンシェント・ワンこと力道山とDr.ストレンジこと馬場の熱すぎる師弟愛、壮絶すぎるアメリカでの武者修行の様子(おれは対スカイ・ハイ・リー戦がめっちゃ好きです)、サンマルチノと馬場の熱い友情、お前誰やねんという感じですがやたら出てくるミノル少年など、見どころ盛りだくさん。ぜひ読みましょう。

ジャイアント台風―ジャイアント馬場物語 (1) (講談社漫画文庫)

ジャイアント台風―ジャイアント馬場物語 (1) (講談社漫画文庫)