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Everything's Gone Green

感想などです

最も豪華な後出しジャンケン 『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』

 いきなりステーキというステーキ屋をご存知だろうか。

 

 その名の通り、立ち食いでいきなりステーキが出てきて、ガツガツ食ってさっと出る、というような、とにかくいきなり肉が食いたくなってしまった人がピットインする感じのステーキ屋である。本当にいきなりステーキが出てきたので初めて行った時にはビックリしたけど、これはこれで楽しかったのでおれはたまに行く。

 映画『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』(以下『BvS』)はこのいきなりステーキのような映画だった。美味そうなんだけど、ものすごく分厚くてどこから食っていいのかよくわからない肉の塊が鉄板の上に乗っかって音を立てていて、それをいきなり「ほらステーキが食いたかったんだろ。食えよ。食えるだろ?」と突き出されているような、そんな映画である。

 


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 スーパーヒーロー系のコミック出版社としては超がつく老舗のDCコミックスだが、モダンなスーパーヒーロー映画のストリームを生み出す手腕に関してはライバルのマーベルの方が一歩先を行っていた感がある。クリストファー・リーブのスーパーマンティム・バートンバットマンもあったけど、マーベルが打ち出した「複数タイトルのスーパーヒーロー映画が複雑に絡み合い、数年に一度それらヒーローが大集合する映画もまた別途作る」というMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)映画のスタイルはまさにオタク長年の夢のような形式だった。膨大な予算と時間をかけて、マーベルはアヴェンジャーズを中心にしたスーパーヒーローたちの巨大なクロニクルを映画で作り挙げようとしている。それは要するに、アメリカンコミックの持つ構造をそのまま映画各タイトルで組み立て直す試みだったと思う。思えばブライアン・シンガーの『X-メン』から15年あまり、マーベルの試行錯誤は今大きく実ったのである。おめでとうマーベルコミックス

 

 対して同時期にDCの打ち出した映画は、個人的には特に嬉しくなかった。ノーランがあんまり好きじゃない(だってアクション撮るの壊滅的に下手だし、アイツ撮影現場にスーツ着てくるんでしょ……なんて嫌味な奴なんだ……)というのもあったんだけど、やたらとテーマが重く画面が暗くバットマンの声が聞き取りにくく妙に鬱々としたバットマン映画3本を見せられて「いや〜、これを大人向けって言っちゃうセンスって20年ちょっと前に死んだんじゃないの……?」と思っていた。『ダークナイト』もそりゃ面白かったけど、正直「持ち上げすぎじゃね?」とも思っていたのである。フィギュアやオモチャもあんまり魅力的なものが出なかったし。関係ないが昔から割とDCはオモチャに弱いところがあると思う。

 

 しかし『マン・オブ・スティール』はドラゴンボールみたいな戦闘シーンや、ことあるごとに出てくるラッセル・クロウが思いの外面白かった(ちょっとクラーク・ケントが悩みすぎでは……とは思った)ので、「バットマンがあの新スーパーマンと戦うのか〜〜勝ち目ないでしょ〜〜」という感じでおれはうすらボンヤリと『BvS』を楽しみにしていたのである。

 

 で、『BvS』である。結論から言えば想像していたよりも面白かった。個々のヒーローに対する解釈はまあいい。特にバットマンはこの解釈だと揉めそうだな〜〜と思って見ていたけど、まあこれもいいだろう。おれが驚いたのは、とにかくこの映画がガンガン説明を省いていくスタイルだった点だ。

 アメコミ映画で問題になるのが「なにをどこまで説明するか」である。バットマンが昼は大企業のトップであるブルース・ウェインで、子供の頃にチンピラヤクザに目の前で両親を殺されて犯罪への復讐を誓い、ケイブの奥で無数のコウモリとなんやかんやあって冷酷無比なクライムファイターになった、というのはアメコミを読む人間ならまあ皆大体知っている。しかしアメコミ映画を見る人間はアメコミオタクだけではない。特に日本ではそうだろう。そこで浮上するのが「知っている人間には常識だが知らない人間には全然わからないディテールをどうやって解説するか」という問題なわけである。バットマンが映画になるたびに可愛そうなウェイン夫妻は惨殺されなくてはならないし、理系のオタク少年だったピーター・パーカーは毎回すごい蜘蛛に噛まれなくてはならないのだ。

 

 で、今回の『BvS』がその問題にどう対処したかというと、それらを大体全部省いたのである。バットマンのオリジンは冒頭、タイトルが出るまでの間にざ〜っと簡単に説明されたものの、それ以外のヒーロー(それ以外の連中がまたけっこうゴロゴロ出てくるのだが)はどこの誰なのか全く説明がないままに「すでにそこにいた」という形で放り出され、ワンダーウーマンがなぜ投げ縄を投げたのかは愚か、彼女は一体何者なのかということすら"なんとなくこの人は善玉なんだろうな……"とわかる程度にしか説明されない。同様に悪役レックス・ルーサーが策略を用いてスーパーマンをつけ狙う理由も放りっぱなし。強いて言うなら「コイツはレックス・ルーサーだからスーパーマンを狙ってるのかな……」という程度しかわからない。「お前らどうせこれくらいわかってんだろ!次行くぞ次!ついてこれる奴はついてこい!!」とばかりに怒濤のハイカロリーバトルが次々と観客席に流し込まれ、気がついたらジャスティスが誕生していたのである。

 

 思えばMCU作品はなんと親切だったのだろうか。洗練されたストーリーテリングのおかげですでに知っているスーパーヒーローたちのオリジンも素直に楽しく見られたし、ちゃんと順序を追って話を盛り上げ、着地してほしいタイミングでストーリーが着地した。しかし今度こそシリーズ化されるであろうDCコミックス映画は違う。観客を引きずり回し、ふるいにかけ、やりたい放題の大暴れである。しかし赤いマントをはためかせながら降臨するスーパーマンや、逆光の中に窓をぶち破って登場するバットマンの絵面は圧倒的に神々しく、まさに「えっそこ飛ばすの!?」「あっでもかっこいい……」という神話的ダイナミズムに満ちている。まさにいきなりステーキ、それもクソデカい肉の塊がそのままゴロリと登場した感じである。確かにステーキはうまい。うまいんだけど、いきなりすぎて半分くらい味がわからない。

 

 DCからすれば、後出しでマーベルと全く同じアプローチをとることができないのは当然だろう。なんせ連作のスーパーヒーロー映画という形のビジネスではマーベルの方が何歩もリードしている。向こうが「スーパーヒーローの映画」として真っ当なものを出しているなら、こちらは「映画媒体でアメコミの構造自体の再現を試みる」という手法で行こう、と思ったかどうかは知らないが、できあがった映画はまさにアメコミ独特のあの不親切さ(コミックでは一々各ヒーローのオリジンなんか説明してくれない)と神々しさが同居した巨大な肉塊だったのである。ある程度構造ができあがっている現時点からDC映画のこの構造をMCUが逆に真似することは不可能だ。滅茶苦茶ダイナミックな後出しジャンケンではないか!

 

 というわけで、とりあえずジャスティスは誕生した。続きはどうなるのかわかったようなわからないような感じだが、個人的にはこれまでのDCコミックス系映画に比べて圧倒的に今後が楽しみである。あとは出来のいいオモチャがドンドン発売されるように願うだけ。おれは今心の底から「頼むからDCもこの映画版のコスチュームでマトモな3.75インチフィギュアを発売してほしい」と思っている。