Everything's Gone Green

感想などです

そしてストーリーは続く 『ストレイト・アウタ・コンプトン』

 ちょっと遅くなったが映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』の感想である。

 

 本作はヒップホップの歴史にその名を残すギャングスタラップのオリジネイター、N.W.Aの伝記映画である。時は1986年、全米への麻薬流入が大問題になっていた時期で、その流通ルートの末端に位置するゲットー住まいの貧乏黒人たちは度重なる警官からの暴行に晒され、道に突っ立ってるだけでボコボコにされることもしばしば。そんな中、全米最悪の治安を誇るロサンゼルス近郊のコンプトンでくすぶる若者たちがいた。

 ドラッグのディーラーとして金を稼ぎながらその商売が長続きしないことを悟り現状をなんとかしたいと考えるイージーE、レコードおたくでクラブでDJをやってる時以外は無職(妻子あり)のDr.ドレー、真面目な学生ながら暴力に満ちたゲットーの日常を記しつつたまに警官にボコられたりするアイス・キューブ。彼らを中心に結成されたグループ「N.W.A(Niggaz Wit Attitude、主張する不良黒人みたいな意味)」はこれまでにないド直球のバイオレンスやゲットーの日常が綴られたリリックと、攻撃的でありつつどこかけだるさも感じさせるトラック、本物のギャングにしか見えない(ドラッグの売人がメンバーなんだから当たり前だ)見た目も相まって一気にのし上がる。

 が、ギャラの分配の契約を巡ってグループは破綻。泥沼のディスり合いを経てなんとか再結成の兆しを見せるが、フロントマンのイージーに病魔が迫りつつあった……というようなお話。

 

 

 ヒップホップというのは音楽のジャンルだと思われているが、実のところ音楽だけを聞いていてもそこまで面白いものではない。リスナーは「○○と××がめっちゃケンカしてる!」とか「△△が□□のレーベルに入った!」とか、そういう周辺の人間関係やストーリーをトータルで消費してシーンの状況を把握し、その中で生まれる音楽がパッケージして売られている、というのが実のところだ。そういった周辺事情が巨大なストーリーを組み立て、いつしかヒップホップには40年ほどにわたる長大な歴史が編み上げられていった。様々なプレイヤーが入れ替わり立ち替わり登場しては新しいテクニックを生み出し、チームを組み、仲違いし、バトルを繰り返す様はどちらかというと音楽というよりアメコミやプロレスやガンダム三国志に近い楽しさがある。ルックがマッチョなのでわかりにくいが、ヒップホップは実は結構オタク向けのジャンルなのだ。

 

 そういうジャンルの中で、N.W.Aはひとつの特異点と言えるグループだ。なんせ西海岸のヒップホップが隆盛するきっかけをもたらした上、メンバー同士の過激な内戦や、ド底辺から成り上がったイージーEの悲劇的な死に様、キャラが立ったメンバーそれぞれのカリスマ性などは現在の眼で見ても充分魅力的。この映画ではそのあたりの面白さを存分に描いており、ストーリー自体は成り上がったミュージシャンにありがちな話ながら、『Fuck the Police』を巡る警官とのバトルやビッグになった後のまさしく酒池肉林の狂騒、メンバーそれぞれの挫折や葛藤などを猛烈に魅力的に見せてくれる。

 

 そしてメタ的に見れば、大変興味深いのがこの映画はN.W.Aの元メンバーが協力/主導して製作された点だ。製作に名を連ねるのはDr.ドレー、アイス・キューブというN.W.A元メンバーの筆頭2人。さらに劇中随一の悪役として映画に登場するデス・ロウ・レコードのシュグ・ナイト本人が撮影現場に乱入、車で俳優を轢き殺して服役するという、映画本編並みにインパクトのある事件も起こしている。

HIPHOP界の帝王シュグ・ナイトが轢き逃げ後に殺人容疑で逮捕

hollywoodsnap.com

 かつての自分たちの栄光と挫折の日々を元メンバー本人たちが製作した映画で物語るという自己言及的な構造は非常にヒップホップ的であり(とにかくヒップホップの人達は自分たちのことをラップするのが好きだ)、さらにその映画で悪役にされた人間が撮影現場で殺人事件まで起こすのに至ってはさながらギャングの抗争だ。この『ストレイト・アウタ・コンプトン』がN.W.Aの元メンバーたちによって製作され、途中でシュグ・ナイトが大暴れし、さらに映画が大ヒットしたこと自体がヒップホップ史、そしてN.W.Aのヒストリーの一部になるという構造を備えているのだ。『ストレイト・アウタ・コンプトン』はN.W.Aの伝記映画であると同時に元N.W.Aメンバーが直接作った映像作品でもある。

 その意味において、この映画の存在自体がN.W.Aとそのメンバーたちの歴史がまだ終わっていないことの動かぬ証拠となり、映画本編を見た今となってはまさしく「歴史を目撃した」という感慨がある。映画は終わっても彼らのストーリーはいまだに続いており、それは現在まで地続きなのである。『ストレイト・アウタ・コンプトン』を見た我々も、N.W.Aのヒストリーの肥やし程度にはなったのかもしれないと思うと、なんだかちょっと嬉しくなるのだ。