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Everything's Gone Green

感想などです

ディテールの地獄 『野火』

 ちょっと前になるけど塚本晋也版の『野火』を見た。以下は感想。

 


映画『野火』 Fires on the Plain 予告編 - YouTube

 

 太平洋戦争末期、レイテ島で1人の兵隊が体験した戦場の様相と、「めちゃくちゃな極限状態に置かれた時に人間を食えるか」というものすごい問いをぶつけてくる大岡昇平の同名小説の映画化。

 なんだけど、この映画では徹底して大局が描かれない。そもそもレイテでの日本軍の話だというストーリーの前提が説明されない。熱帯のジャングルっぽいところのど真ん中で、見るからに弱そうな日本兵のおっさん(塚本監督本人)が結核になった、というところからいきなり話が始まる。

「ロクに働けねえ奴を部隊に置いとけねえよ、病院行けよ」という上官の言うことを聞いてなけなしのイモを持って病院に行ったら「これっぽっちでここには置いとけねえよ。出てけよ」と言われ、たらい回しにされたあげく日本兵のおっさんは部隊から放り出されてしまう。

 

 そこから先、彼はフィリピンのジャングルを頼りなげにうろつき、現地のゲリラや米軍機の機銃掃射に追い回され、ついには現地人まで殺してしまうのだが、そこでも徹底してカメラがフォーカスするのはディテールだ。死体にたかるウジのツヤや掘り出して食う芋の不味そうさ加減やまとわりつくハエの羽音といった強烈なディテールの連打は、映画を見ている者に奇妙な没入感を与える。

 

 濃密なディテールの描写は中盤の米軍陣地からの機銃掃射シーンでひとつのピークとなる。機関銃の当たった兵隊の腕はちぎれ、顔面は吹き飛ぶ。ここまで「不意に機関銃の掃射を受けた歩兵部隊はどうなってしまうか」が生々しく、歩兵自らの視点で描かれた映像は『プライベート・ライアン』以来だと思う。視点はとにかく低く、映画を見ている者をかすめるように弾丸が飛ぶ。鑑賞者は兵士と共に血まみれの泥まみれになることで傍観者のポジションから引きずり下ろされ、気がついたら「ああ、ここはこういうところだからこうなっても仕方ないなあ。食い物もないしなあ」という感覚を知らず知らずの内に受け入れてしまう。

 

 詰まるところ、『野火』は極めてテーマパーク的な作りの映画だ。状況の説明はなく、ひたすらディテールが連打されることによって観客を観客の立場でいられなくし、容赦なくフィリピンの地獄に引きずり込む。で、引きずり込まれた地獄の底で、観客も劇中の日本兵と一緒に「う〜ん、人肉か〜〜。確かに食っちゃえというのもわかるけどそれはちょっとどうだろうなあ〜〜〜〜」という煩悶を突きつけられるわけである。これは重い。なんせ観客にとっても生きるか死ぬかがかかった目前の問題だ。切実である。

 

 『野火』はそんな異常なドライブ感のある映画であり、その点において凡百の反戦映画とは構造的に大きく異なる。なんせレイテ戦末期における日本兵の倫理観を強制的に追体験させてしまうのだ。外野から戦争反対を訴えるのとは訳が違う。見終わってから「ここが現代の渋谷でよかったなあ……」としみじみ思った。なんせキツい映画なんでそう何度も見られないけども、5年に一回くらい見たくなる映画だとは思う。

 

 しかしそれにしても日本兵は大変だ。絶対にあんな目に遭いたくない。心の底からそう思える一本だった。