Everything's Gone Green

感想などです

9/8の日記

朝からリングフィットアドベンチャーをやり、前から気になっていた江川紹子の「『オウム真理教』追跡2200日」を買って読む。オウムのことは正直通り一遍しか知らないが、ずっと興味はあったので、入門の一冊として読み始める。

 

坂本弁護士の失踪に関する報道は「面白さ」を優先してしまったからああなったのだな、と納得。面白いかどうかで言えばオウムは見た目も言うことも面白いわけで、TV番組を作っている人間が被害者の会と対決させたくもなるのはわかる。最近「面白くて理屈が通っているように見えて単純な話にいかに抵抗するか」「つまらなくて理不尽で複雑な事実にどう耐えるか」についてよく考えるのだけど、オウムもやっぱり「面白くて刺激的で単純」で、多くの人がその面白さに抵抗しきれなかったのではないか。まだ全然最初の方なので、引き続き読み進めるつもり。

 

ちょっと本を読んでいたらもう昼。家の外に出るのも億劫だったので、マルタイのカップラーメンを食べる。食べたら仕事。前日におこしたテープを元に文章をまとめる。相変わらずやる気出ず。

 

だらだらやっていたら夜になっていた。夕食を用意するのもダルかったし時間もなかったので、外に出てモスバーガーに頼ることに。とびきりハンバーグサンドのトマト&レタスはうまい。最近モスにいくとこればかり食べる。あと、チキンナゲットもマクドナルドのものよりモスの方が好みだ。肉がぎっしりしてる感じがするし、マスタードソースが甘くないのもいい。

 

寝る前にグッドスマイルカンパニーの1/20かにクレーンを組み立てる。それなりに複雑な形のクレーンやアウトリガーが瞬時に組み上がって大変驚く。もうプラモデルは全部こういうスタイルでいいと思う。

9/7の日記

やはり未来は増悪に満ちたツイッターではなく、ブログにあるのではないか。というか、ツイッターは時間の無駄だったのではないか……。そんな気がするので、ブログを再開したいな〜日記をつけたいな〜と思っている。

 

昨日は晩飯にロイヤルポールウインナーの卵炒めと、キムチと厚揚げとネギを炒めたもの、それに残り物の肉じゃがを食べた。ロイヤルポールウインナーの卵炒めだけは、常におれを裏切らない。一人前につき、ロイポ(おれの家ではこう呼んでいる)2本と卵2個を用意し、油を引いたフライパンで軽く焦げ目がつくまでロイポを焼いたあと、溶き卵をぶっかけてササッと炒めれば完成。簡単かつ美味、酒のつまみにもご飯のおかずにもなる。面倒な時はロイポは手でちぎってそのまま炒めても、「自分は今、最低の暮らしをしている」という気持ちを味わえてグッドである。食材を手でちぎったりハサミで切ったりした時の野蛮で雑な作業っぽい感じ、いいですよね。

 

あと、残り物の肉じゃがには、残り物の肉じゃがにしかない滋味、愛おしさがある気がする。冷蔵庫の中にうずくまっている肉じゃがを見ると、君がいてくれてよかった、ありがとう、と声をかけたくなる。冷えた肉じゃがを熱いご飯の上に乗せて、崩れたジャガイモと肉の脂と煮汁が混ざったものがじわじわと溶けていくのを感じられるのも、そもそもその肉じゃがが冷蔵庫の中で冷え切っていてくれたからこそだ。「残りものである」という状態から食べるとうまい食べ物というのはいろいろある(たとえばおれは残ったピザを温め直して食べるのとかも割と好きだ)と思うけど、冷えた肉じゃがと熱い飯の組み合わせはけっこう上位に食い込むと思う。まあ、昨日の肉じゃがはレンジで温め直したんですけども……。

 

それ以外には、昨日は家でテープ起こしをしたりして過ごした。なんともダルい作業だった。

EXILE化する宇宙 スターウォーズ/最後のジェダイ

このエントリは「スターウォーズ/最後のジェダイ」のネタバレを激しく含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

EXILE TRIBEがことさらに「継承」の物語を好むことはよく知られています。すでに数世代を重ね、人数もどんどん増加するEXILE一族。彼らにとって「EXILE」とはダンス&ボーカルグループの名前であると同時に、思想であり、生き方です。たまに「なんでEXILEってあんなに人数いんのwwww」という人がいますが、それは、それだけの人数にEXILEという思想が継承されたからなのです。

 

スターウォーズ/最後のジェダイ」もまた、継承の物語でありました。新世代のキャラクターであるレイとカイロ・レンに対し、旧世代のキャラクターであるルークとレイアが、成功も失敗も含めて自らの生き方を伝承し、そして去っていく。そんな物語です。

 

伝説のジェダイでありながら、今作のルークは引きこもり状態からスタートします。銀河大戦期の英雄であり、アナキン・スカイウォーカーの息子であり、反乱軍とジェダイ騎士に勝利をもたらした者でありながら、絶海の孤島に引きこもる老ルーク。その理由は、育成していた若いジェダイ候補生たちを失ったというものでした。

 

もしもHIROさんがZOO→初代JSBEXILEという流れの中でパフォーマーとして成功した後に、二代目JSBの育成に失敗しNAOTOさん以外全員死亡、さらにNAOTOさんは悪墜ちした上に極悪芸能事務所"ファースト・オーダー"に移ってしまったとしたら……。さすがにHIROさんといえども瀬戸内海の小さな島とかに引きこもってしまうのではないでしょうか。

 

HIROさんが暮らす瀬戸内海の孤島に、辺境の惑星である名古屋で靴を売って生活していた若者、岩田剛典が訪ねてきます。しかも彼が乗ってきた車はMAKIDAIさんが運転する73年型フォード・ファルコンです。自宅の扉を固く閉ざすHIROさんに対し、ドアを蹴破って突入してくるMAKIDAIさん。かつての仲間であるMAKIDAIさんが現れたことに対し、さすがにHIROさんも驚きを隠せません。その機会を捉え、自分にパフォーマンスとは何か、ダンスとは何かを教えてくれとHIROさんに迫るガンちゃんさんですが、HIROさんは何も語ろうとしません。しかしHIROさんはガンちゃんさんの中に眠るEXILE TRIBEとしての資質に気づき、しかもボビー・ブラウンの霊体まで登場して「失敗からこそ学ぶべきことは多い」「過ちも愚かさも全て伝えればいい」「教えを説いた弟子が師を超えていく。それこそがパフォーマーの真の重責」と説得されます。それを受け、HIROさんは少しづつガンちゃんさんにパフォーマーとはなにか、ダンスとはなにか、そしてEXILEとはなにかを伝えていきます。

 

やがて訓練を受けたガンちゃんさんは仲間たちの危機を知り、MAKIDAIさんの運転するフォード・ファルコンに乗って瀬戸内海の小島を去ります。自らの運命を悟り、秘蔵のレコードコレクションを焼き払おうとするHIROさん。しかし迷いが彼を襲います。そこに現れるボビー・ブラウンの霊体。レコードコレクションに向かってブチ落ちる稲妻。その雷鳴に乗って、「MUGEN ROAD」のイントロが鳴り響くのです。

 

MAKIDAIさんのフォード・ファルコンを途中下車し、NAOTOさんが所属する悪徳芸能事務所"ファースト・オーダー"に向かうガンちゃんさん。ヤクザが出入りする最悪の事務所で、ガンちゃんさんはフォースで首を締められたり生コンを飲まされるなどの激しい拷問を受けます。しかし同じパフォーマーとして感じ入るものがあったNAOTOさんとガンちゃんさんは共闘、悪徳事務所の極悪社長であるスノークを長ドスで刺殺し、周囲に立っていた腕利きの用心棒たちを一人残らず倒します。めちゃくちゃな惨状が広がる事務所の社長室で、清濁併せ吞む手法で旧世代の芸能人を蹴落とし、ともにパフォーマーとしてビッグになろうとガンちゃんさんを誘うNAOTOさん。しかし、HIROさんからJ Soul Brothersとは、そしてEXILEとは何かを教えられたガンちゃんさんはその誘いに乗りません。ちょうどいいところに迎えにきたMAKIDAIさんのファルコンに乗り、ガンちゃんさんは悪徳事務所を後にします。

 

ケツ持ちのヤクザの若頭であるハックスさんも強力なフォースで黙らせ、ついに悪徳芸能事務所"ファーストオーダー"の実権を握ったNAOTOさん。とうとう数少ないEXILE TRIBEの生き残りメンバーに総攻撃を開始します。しかしそこに、パフォーマーとしての衣装で完全に固めたHIROさんが現れます。ついに始まるNAOTOさんとHIROさんのダンスバトル。しかし、NAOTOさんの攻撃は全く通用しません。なぜなら、HIROさんはEXILEという思想を研究し尽くしたからこそ可能になった幽体離脱で、霊体としてダンスしていたからです。ELLYさんや登坂広臣さんなど若手メンバーが脱出したことを見届け、霊体を消すHIROさん。その顔には満足げな笑みが浮かんでいました。HIROさんが見つめる瀬戸内海には、彼が少年時代を送った横浜と同じふたつの太陽が浮かんでいました。そしてHIROさんは、実体を残すことなく霊体としてフォースと一体化するのです……。

 

どうでしょうか。あまりにも「最後のジェダイ」はEXILE TRIBEではないでしょうか。おれはびっくりしました。あとNAOTOさん、勝手に悪役にしてしまってすいません。

なぜ我々はプラモデルの部品をべちょべちょ貼った模型を作ってしまうのか

wivern.exblog.jp

↑このエントリを読みまして。ま〜すごいですね。バンダイ。ファルコン号。と思っていたわけなのですが、これに対するリアクションとして「スターウォーズのプロップってプラモデルをベタベタ貼ってできていたの?」「なんでプラモデルを貼ってるの?」というリアクションがちょいちょい見られまして、「そういえばなんでプラモデルの部品をベタベタ貼ってるんだろう」というのを考えてしまいました。

 

スターウォーズのメカは、要素を分解していくと非常に簡単な形でできています。「円盤に三角形の板が二枚くっついてる」とか「六角形の板の真ん中に球体がくっついてる」とか「長い六角柱の胴体に台形の羽根が4つついてる」とか、基本的には単純な幾何学的形状を2つないし3つ組み合わせただけの形です(もちろん例外はあります)。特に初期から登場している主役級のメカになればなるほど単純な形の組み合わせになっておりまして、これはスターウォーズのメカデザインの大きな特徴です。この単純さのおかげで5歳児でも敵味方が識別でき、一回見たら忘れられないほど"強い”デザインになっているのです。

 

こういう単純な図形の組み合わせでできているものが、実は近くに寄って見ると現実的なメカっぽいディテールの集積になっている。そういう、二度美味しいというか、本当っぽい嘘をつくためのギミックが前述の「プラモデルの部品をベタベタ貼る」という行為です。ここで重要なのは、スターウォーズのプロップに貼ってあるプラモデルはほとんどがスケールモデルであるという点です。

 

1977年以前、キャラクターモデルはプラモデルにおいてほんの傍流だったという事情ももちろんあるんでしょうが、もうひとつ理由として大きいのは「実在するメカの部品」であるという点だと思います。なんせ前述のようにスターウォーズのメカは実在しない極めて単純なフォルムでできているので、その時点でひとつ大きな嘘をついていることになります。その上に嘘を重ねると、これは本当に嘘っぽいメカになってしまう。であるならば、細部の装飾には実在する機械の部品を用いることで、200%の嘘を150%くらいまで割り引いて、なんとかリアルっぽい感じに着地できやしないか。ついでに時間的金銭的なコストもケチれないか。そういう、「我々はどういうものを見ると『リアルだ』と感じるか」という、根本的な仕組みの部分をハックした方法をとったのではないかと思うのです。

 

おれは自分でもいろんなプラモデルの部品をベタベタ貼った模型を作るのですが、割とこの推論に近いことを考えてやっております。自分の模型のネタばらしをするのはアレなんですけど、一番手近な事例としてこないだツイッターに貼ったらややウケしたフレームアームズガールを改造したやつを引き合いに出して、スケールモデルの部品を随所に貼り付けるとどういういいことがあるのか、見てみようと思います。ちなみに1.7mのファルコン号なんて代物よりずっと小さい模型なので、部品の使い方もみみっちいです。ご了承ください。

 

 

↑これね。

 

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まず鉄砲なんだけど、これは趣味の問題でM4(実在する銃です)の上になんか色々くっつけてます。これも色々設定を考えたんだけど割愛。こういう模型に火器を取り付ける場合、実在するものにするのか、ビームライフル的なものにしちゃうのかはその模型のリアリティラインを非常に大きく左右すると思います。

 

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両肩のシュルツェンみたいなのはメルカバのサイドスカート。こういう装甲材みたいな部品は、形状もさることながら厚みでもいろいろ表現できるところがあるんですが、実在する機械の部品はその辺やっぱり生々しい。

 

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シュルツェンの裏。なんか戦車の部品とかいろいろ。キャラクターモデルの部品も使ってますが、可動部の基部みたいなキモになるところを実在する機械類の部品にすると印象が締まるのです。

 

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実在する機械のパーツで偉いのがその細さです。特にこういうダンパーとかフレームとか、棒状の部品の細さとディテールの入り込み方は、どうしてもキャラクターモデルの部品では置き換えが効かない。キャラクターモデルの部品で本物っぽい油圧のシリンダーみたいな部品は、おれは見たことがないです。なので、フレームアームズガールの胴体の下の部分はスケールモデルの部品をバラバラに切って取り付けています。

 

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膝頭の部分についているのとかもなんか戦車の転輪か何かです。こういう出っ張ってて目を引くところに現実的な部品がついてると「オッ実在性!」ってなる……ような気がする……。

 

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これはフォルムだけがほぼ完成していて、まだディテールを足す前の状態。キャラクターモデルの部品だけだと色々と味が薄いのがわかると思います。

 

というわけで「実在する機械の部品」には、それでしか出せないムードみたいなものがあるのです。ファルコン号もおれのフレームアームズガールも全体のフォルムの時点で大嘘をついているので、そこからなるべく嘘の総量を間引かなくてはリアルっぽく見えない(逆に言うと実在性とかを特に志向しないのであればこういう工作は必要ない)。そんな時に一番手っ取り早くて安上がりなのが、手近なスケールモデルの部品をバシバシくっつけていくことなのです。最近は逆に「フォルムは本当っぽいんだけど、ディテールで大嘘をついている模型」というのは作れないもんかなーなどと考えております。

 

 

 

では最後に、おれが一番好きなファルコン号の立体物をお見せします。ガルーブのマイクロマシーン版ファルコンです。

 

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全長が40㎝ほどあり、バンダイ1/72並みとはいかないまでも、でかい。

 

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まるでアメリカのハンバーガーのような、史上最も分厚いファルコン。

 

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ここを立てて……

 

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開きにできます。大雑把だな〜。

 

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内部構造とかガン無視で、中はルークが目隠ししてライトセーバーの練習したりC-3POとチューバッカがホロチェスをやってたあのリビングみたいな空間になってます。メカ部分は全部シール。後ろについてる変なツマミのついた板の部分は外れて、中に小物を入れられます。ファルコンといったら外れる床板(薄い)だからな。

 

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コクピットにちゃんと椅子が4つあるのも嬉しいじゃあありませんか。

 

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こっちはなんかビークルの整備工場っぽい遊びができるようになってて、同じマイクロマシーンのオモチャをくっつけてグルグル回せます。整備工場ってより回転寿司みたいだけど。

 

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後ろからはハンドルが引き出せるので、ファルコンをぶら下げて友達の家に遊びにいったりできます。やったね。

 

このファルコン号、胴体をガバッと開いたら内部構造が再現されているのではなく、映画で見たあの部屋がドーン!と入っているのがなんだか凄く好きです。後から色々設定は足されましたけど、我々が「新たなる希望」で見たファルコンの内部って、あの部屋と、コクピットと、床板外して隠れてたあの廊下と、あの銃座くらい。その印象に忠実に立体化して、基地玩具としての機能を持たせたらそりゃこうなるよ、という納得感が猛烈にあります。

 

バンダイの1/72がプロップを完全再現した、いわば三次元的に最高精度のファルコン号の模型だとしたら、このガルーブのファルコンは「新たなる希望」を見た我々の脳内や劇中の時間軸で構成されていたファルコン号の姿を形取った、いわば四次元的なファルコン号の模型と言えるのではないでしょうか。ていうかこの場合、バンダイ版とガルーブ版、どちらが正確と言えるのでしょうか。おれには「ガルーブ版のおもちゃが不正確」とは言い切れません。そもそも模型とはなんなのでしょうか。よくわからなくなってきました……。

https://twitter.com/gerusea/status/902488268863791104

https://twitter.com/gerusea/status/90248

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ハイローランドに行ってきました

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現在よみうりランドで開催中の「HiGH&LOW THE LAND」と「HiGH&LOW THE MUSEUM」(以下両方まとめてハイローランド)に行ってきました。

 

おれはハイロー大好きなわけですが、周囲のオタクに似たような嗜好の奴がいなかったので、妹&妹の友達のオタク女子に同行させてもらう形に。当日は死ぬほど快晴。うっかり京王線ではなく小田急の方の「よみうりランド前」駅から降りちゃったので、バスで現場まで行くという冴えない移動になりました。

 

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噂に聞いてはいたのですが、ハイローランド、とにかく全体のディレクションが猛烈にしっかりしている上にそれを支えるためのロジスティックスが非常に緻密で、現場ではデザインとそれを支える兵站について考えてしまいました。

 

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現場はステージがあったり飲み食いできたりする「THE LAND」と、ハイロー劇中の雰囲気を再現した室内で衣装や小道具の展示を見られる「THE MUSEUM」に分かれています。これはミュージアム側の入り口付近。

 

知らない人が見るとFalloutみたいなガラクタの山なんですが、「THE MOVIE」のコンテナだらけのセットのイメージを軸に、なんとなくハイロー感のあるデコレーションがされておりまして、とりあえずミュージアムに入る前だけでオタク大興奮。この入り口付近には「でかい旗を振る」という仕事の人が立って炎天下で淡々と旗を振り回しており感動しました。

 

要はこれプレハブやコンテナのまわりにスノコやら工事用の足場やらドラム缶やら古タイヤやら……という雑多なガラクタをくっつけてるだけなんだけど、色味の選び方やウェザリングの的確さによって全体に統一感が出ています。各アイテムをそのまま積み重ねたら産廃の集積場にしか見えないはずなんだけど、完成後にどうなるかをちゃんと計画して各要素を配置して塗装しているので、ちゃんとハイロー的な風景に見える。

 

 

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これも一見するとゴミの山なんだけど、鬼邪高校の展示の一部。右下の方に写っている下駄箱かなんかの扉が、殴られたか蹴られたかして折れ曲がってるじゃないですか。これを見たときにおれは感動しました。この展示をプランニングした奴は「鬼邪高にあるロッカー類の扉は全てベコベコにされている」という想定が見えており、単に下駄箱の扉が取れているのを表現するだけではなく、一旦ヘシ折って展示スペースに配置している!解釈の解像度が高い!

 

 

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キング村山って自分で書いてしまう村山。キャストの山田裕貴さんのサインなんですけど、村山というキャラへの解釈がやはりちゃんとしている。自分でキングって書くような奴です、村山。

 

 

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村山と関と古屋が身長を比べているという写真です。迸る男子高校生感。

 

 

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ITOKAN店内のいたるところに貼ってあるポスターやらチラシ類やらも、なんかいちいち作り起こしっぽいんですよね……。壁に書いてある文字だって版下が必要だろうし、一体どれだけの人数のデザイナーを動員したのだろう。さらに言えばデザイナーの人数がたくさんいればいいというわけではなくて、それら膨大な出力物を統合して解釈にズレが発生しないようディレクションし、会場にいい感じに配置する必要があるわけで、その手間を考えると本当に気が遠くなります。

 

 

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圧巻だったのがこのTHE LANDの方のステージ。山王街というのは東京の東側にありそうな、下町っぽい商店街という設定なので、まず正面の看板は「○○銀座」的な鄙びたテイストに。それがくっついているトラス状のフレームはおそらく鉄道の跨線橋をイメージしたものでしょう。ハイローでは跨線橋は主要登場人物であるコブラ・ヤマト・ノボルの少年時代を象徴する重要なロケーションです。この跨線橋には濃いめに錆びを描き込むことでリアルさと山王街の年季の入り具合を表現。さらにその周辺に提灯を配置することで、「山王街の夏祭り」というデザインコンセプトをどんなバカが見ても一発で伝達することに成功しております。

 

その背後にはグラフィティが施された商店街の壁面が。これによって山王街が治安の悪い、不良たちの溜まり場であることが表現されています。レンガ作りの壁面にグラフィティという取り合わせはどちらかというとアメリ東海岸、70年代以前のブルックリンなどのすこし古めな雰囲気がありますが、これは山王連合会のデザインコンセプトがアメリカのバイカーギャングのスタイルを明確に意識しているのとリンクしています。現代的な西海岸の不良ではなく、もうちょっとトラッドでクラシカルな雰囲気でまとまっている山王連合会。そんな彼らの根城である山王街の建物は、コンクリ造りではデザイン的に馴染みません。そんな山王街と山王連合会のディテールやデザイン性を、ステージ奥の壁一発で表現しているわけです。すごい。

 

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ステージ脇にはドラム缶やらホイールやら電柱にくっついてる機械やらが置かれたシャッターが。このシャッターにもグラフィティが描かれているのですが、その上に貸店舗の看板!そして貸店舗の看板にも執拗なウェザリングが!おれがハイローランドで一番感動したのはここでした。「不良がたくさんいる山王街だからそれっぽいグラフィティを描こう」というところまでは誰でも思いつくかもしれない。けれどさらにその上に「寂れた日本の商店街らしい要素をもうひとつ盛ろう」という発想は、ハイロー世界のことを見てきたように想像できるディレクターがいないと成り立ちません。そしてその貸店舗の看板を作る際の書体や色の選び方。完璧な仕事。それなのにステージの脇からちょっと離れた、気がつかない人はそのままスルーしそうな位置に貼ってある。ゾクゾクします。

 

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この配電盤とかも、横に立ってるプレハブの土産物売り場の壁なんですよ。ぶっちゃけこれがあってもなくても誰も気にしないと思う。でもこういうディテールを入れる。入れないと山王街っぽくならない、ハイローっぽくならないとジャッジした人間がいる。「架空の世界を再現する」ということに対するこの執拗で的確な仕事ぶり、なかなかすごいことだと思いませんか……。

 

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ハイローランドにたどり着くまでの順路に立っている塀。「祭り」ということで達磨一家をイメージした朱色っぽい赤が塗ってあるのですが、よく見るとフォークリフト用のパレットを立てただけ。それなのにどこか和風っぽいテイストすら感じられるし、全然貧乏くさく見えない。これを企画し立案し実行するというのは一体どういうことなのか。途中からよみうりランドでウンウン考えることになってしまいました。

 

 

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「HiGH&LOW」を展開しているLDHは何事に対してもジャブジャブとお金を使える、その予算規模がすごいと前から言われています。それはその通りだとおれも思います。しかし、ハイローランドに行ってみて、LDHにとって「予算がある」というのは単なる前提にすぎないということがひしひしとわかりました。

 

LDHの真の強みは金を持っていることではなく、ブレのないディレクションによってコンテンツに関係するあらゆるものを立案しデザインできること、そしてそれを実行するためのロジスティックスを用意できることです。お金はそのために必要なものですが、お金だけがあってもハイローランドは完成しません。コンテンツ自体を深く理解し、それをあらゆる客に対してどうやったら伝達できるかをデザインできる人間。そしてそういう人間に仕事をさせることを決断できる人間。予算というのはそういった人間たちに持たせて初めて威力を発揮する武器です。

 

LDHは単に金満でゴージャスなわけではなく、明確な意図を持ってディレクションをできる人間にちゃんと予算をつけることのできる集団であるというのは、もうちょっと意識されてもいいことなのではないでしょうか。というかハイローランドのディレクターをやった人に、今ものすごくお話を聞いてみたいと思っています。

ワイスピをスカイミッションまで連続で見た

「車に興味がない」という理由で今までワイスピを避けてたんだけど、アイスブレイクも公開されたし食わず嫌いもよくないなと思い、初代から7作目のスカイミッションまで、ちょいちょい休みを挟みつつ全部見た。

 

初代ワイスピを改めて見た時、正直めっちゃびっくりした。なんというか、おれがなんとなくイメージしていたワイスピは「頭があまりよろしくない上にどちらかといえば所得の低い人にもわかるようチューンされた、高級スポーツカーを使った悪ふざけ」というものだったんだけど、初代ワイスピはなんとストリートレースを軸にした潜入捜査ものだったのである。カーアクションも「でかいトレーラーの周りを車でぐるぐる回りながら銛を発射する」「ドアからぶら下がる」くらい。しかも終わり方も煮え切らない。少なくとも全然陽気な感じのラストじゃない。なんせ主人公の潜入捜査官ブライアンくんが捜査に失敗して警察をクビになって終わるのである。なんだこれと思った。

 

で、初代ワイスピが予想よりずっと地味で華がない映画だったので、逆にどうやったら「潜水艦が氷河をブチ破って飛び出し、ドウェイン・ジョンソンが魚雷を押し返す」という状況になるのか興味が出てきてしまったので全部見たわけである。

 

2作目は、もうこれはマイアミバイスのパロディだなとすぐわかった(ちなみに初代はハートブルーだよと教えてもらって後から合点がいった)。初代に続いて潜入捜査ものだったし。3作目は珍品ながら、まあ車を使ったベストキッドみたいなもんでしょう。日本の学校文化って外国から見るとああいう感じなのかと面白かったし、あとアメリカ人はあんまりドリフトに興味がないんだなというのもわかった。

 

問題は4本目の「ワイルド・スピード MAX」以降である。これまでの3作は、正直軸がブレブレだ。ここで「やっぱヴィン・ディーゼル出しとかねえとダメだわ」という点にみんな気がついたのであろう。ドムはやはりガンダムSEEDでいうキラ・ヤマトなのである。名前はドムだけど。シリーズ全体を支える大黒柱として、このMAXでヴィン・ディーゼルは再浮上を果たす。

 

MAXはシリーズにとって過渡期の映画だと思う。初期のちょっと真面目な雰囲気を残しつつ、カーアクション自体は飛躍的にハデになり、そしてその後のワイスピにとって重要な要素である「ファミリー」概念が前面に出始めている。

 

ワイスピにおける「ファミリー」概念は、平たくいっちゃうと「地元のツレ」の濃いめのやつである。つまりいつメンでありズッ友である。MAXでこの「ファミリー」概念が発掘されてしまい、そしてそれが案外ウケたのだろう。MEGA MAX以降のワイスピはいつものメンバーの人間関係が更新されたりひっくり返ったりしつつ、カーアクションのクソバカ加減だけがどんどんインフレするという方向に進化している。いつメンがズッ友のまま世界規模で大暴れするのがMEGA MAX以降のワイスピなのだ。

 

この「ファミリー」の概念、なんつっても日本人にもわかりやすい。「ファミリー」概念的なものはマイルドヤンキーやワンピースや湘南乃風や地方のショッピングモールのフードコートといった形で身の回りにたくさんある。しかし、ワイスピはその概念をめちゃくちゃ過剰に押し出しつつストーリーを先鋭化させた結果、ある種の詩情を感じさせるところまで到達している。例えばユーロミッションの、めちゃくちゃバカっぽい経緯で記憶を失ったレティと、その恋人であったドムがレースをすることで対話するシーン。あのレースのシーンはワイスピ史上最も美しいストリートレースである(そもそもMAX以降あんまりストリートレースやってないけど)。正直ベッタベタの展開ではあるのだが、おれはあそこで素直に感動してしまった。

 

また、その「ファミリー」概念の蓄積が最も物を言ったのはスカイミッションのラストだと思う。シリーズを一応全部見て、さらにポール・ウォーカーに何が起こったか知った上で、いつもの書体で「FOR PAUL」と画面に浮かび上がった時のエモさは凄まじい。あれはまさにいままでファミリーファミリーと事あるごとにしつこく言い続け、ドムの家の庭で肉を焼き続けてきたからこそ可能になった演出である。

 

おれの実家は岐阜県であり田舎でありヤンキー地帯だったので、こういう「ファミリー」的概念はあんまり好きじゃなかったし今でも苦手といえば苦手なんですが、ここまで徹底して「俺たちは家族だ」って毎回言われ、しかもそこをキーにして泣かしにかかられると「ちょっとわかる……」となってしまう。心の岐阜県民の部分が一定の理解を示しているのだ。少なくともなんでこのシリーズが毎回めちゃくちゃ稼いでいるのかの一端は理解できた。世の中、田舎者の方がずっと人数多いからね。そりゃお客さんも入りますわ。しかも作品ごとにアクションシーンは過剰になっているわけで、そりゃもうウケない要素がない。

 

というわけでスカイミッションまで見たので明日あたりアイスブレイクも見てこようと思います。めちゃくちゃ楽しみ。

4/8に見た映画

レゴ バットマン ザ・ムービー

ド傑作。ぶっちゃけ泣きながら見ました。

 

スーパーヒーローというのは必然的に孤独な存在である。なんせその他大勢と同質のヒーローが出てきてしまっては、それで完成するのはスーパーヒーロー映画ではなく戦争映画になってしまう。だからバットマンは必然的に孤独だ。家族を強盗に殺されているから新しく家族を作ることに対して臆病だし、ブルース・ウェインという正体を知られるわけにはいかない。

 

スーパーヒーローはそういう存在なので、必然的に同質のスーパーヒーロー同士でつるむことになる。ジャスティスリーグアベンジャーズや、とにかくそういう連中だ。『レゴ バットマン』のバットマンがすごいのは、そういうスーパーヒーロー同士の連帯からもその気難しさが原因で排除されている点だ。バットマンは誰とも連帯できず、家族もいない。唯一彼のために気を揉んでいるのは執事のアルフレッドくらい。

 

そんな彼との連帯を望む存在として現れるのがジョーカーだ。アメコミほど「悪とはなにか」ということについて継続的にアップデートが繰り返されてきたジャンルも珍しい。なんせ悪がいなくては正義は成り立たない。住人全員が善人のゴッサムにはバットマンは不要だ。だから『レゴ バットマン』ではジョーカーはバットマンに対して「お前はおれにとって特別な存在だ。お前にとってのおれもそうだろう?」と質問する。が、バットマンは「いや、別にそんなことないし、そこまでお前のことを考えたこともないわ」とジョーカーとの関係を否定する。バットマンは他人と継続的な関係を築くことに恐怖しているからである。そういう意味で、「レゴ バットマン」のバットマンバットマン映画史上最も扱いにくく、純度の高いバットマンである。なんせ彼はサイドキックの存在すら認めないし、連帯しようとした新警察署長バーバラ・ゴードンすらはねつけ、バットケイブに立てこもる。

 

この「レゴ バットマン ザ・ムービー」は、バットマン最大の敵である"自らの孤独"に対し、バットマンたちが如何にして戦いを挑むかという映画だ。実際どうやって立ち向かったかは書かないけど、途中の流れはもう涙無くしては見られない。もちろんレゴ ムービーらしい楽屋オチやメタネタのパロディやワーナーの懐の深さをうかがい知れる悪役陣などオタク大喜びのギャグも満載だけど、全体には上記のテーマが通底しているので、人付き合いが嫌いなオタク(おれ含む)なら刺さる内容であることは間違いない。ド傑作でした。

 

ハードコア

全編主観視点の映画があったらすごくねえ!?という、CoDとかHALOとかをプレイしすぎて頭が悪くなったオタクの一発芸みたいな映画。だが90分もある。

 

日本において主観視点の映像といえば上記のようなFPSゲームとある種のアダルトビデオ(なんかこう、風俗店のプレイを模してるやつとか女優さんがたくさん出てくるやつとか、「ひょっとしたらおれもこういう体験ができそう」もしくは「死ぬまでに一回くらいはこういう目に遭ってみたい」という内容のものが多いですね)なわけですが、この映画もその2ジャンルにすっぽりそのまま当てはまる内容。つまり、動いて暴れて銃をぶっ放して人間を殺すか、R15で上映できるくらいのエロい目に遭うかという、動物かよという感じの内容が全編がぶっ通しで続く。

 

とにかく映像が全部主観視点なので止まると即かったるくなる。会話のシーンとかは目の前で人間が喋ってるだけになっちゃうからシャールト・コプリーがどんどん出てきて喋りながら動いたり死んだりしないと間が保たないし、それだって3分くらいが限度だ。だからこの映画では3分に一回は銃撃戦が発生し、走り回って鉄砲をバンバンぶっ放し、止まることなく人間を殺し続けるしかない! ストーリーなんかほとんど刺身のツマ、戦うことしか知らないマグロの改造人間みたいな映画だ。だからクイーンの「Don't stop me now」が流れるのか。今初めて知った。

 

そういう死ぬほど一本調子の映画なので、正直途中で飽きてくる。おまけに酔う。とにかく主観視点でグラグラ揺れまくる映像が大スクリーンで流れるので三半規管が弱い人間は確実にダメだ。大学時代にサークルの部室にあったプロジェクターで『サイレン』をプレイしたらその場にいた全員の気分が悪くなったことがあったけど、そんな感じに近い。「やっぱ人間安全に体験したいことっていえば暴力とエロでしょ。ヘイリー・ベネットの指舐めサイコー!」って意見には完全に同意だけど、それにしたってもうちょっとなんとかならんかったんかという気持ちになった。

 

ただ、オープニングの「HARDCORE HENRY」ってタイトルが出るところとサントラのセンスはめっちゃくちゃよかったです。あのオープニングだけもう一回見たい。現場からは以上です。