Everything's Gone Green

感想などです

おれもお前もブロンソン

 新宿のシネマカリテで映画「ブロンソン」を見たのでその感想を書く。変な映画だったけど強烈でした。

 この映画が題材にしているのは実在の犯罪者、マイケル・ピーターソンだ。彼は自らを「チャールズ・ブロンソン」と名乗り、大小様々な暴力犯罪を起こして服役34年、そのうち30年を独房で過ごし現在も服役中、という強烈な経歴のおっさんなんだけど、この変人のマイケルことブロンソンの暴れっぷりを映画にしたのがこの『 ブロンソン』なわけである。

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ブロンソンさん本人。こんな見た目の人です。

 ところはイギリス。子供の頃からあばれはっちゃくで肉体言語に頼りがち。しかもなんだかズレた過保護な両親に育てられたマイケル少年は長じるにつれて「有名になりたい」という願望を抱く。しかし歌もダメ、演技もできない彼が有名になるために選んだのは犯罪だった。というわけで改造散弾銃を振り回して郵便局に押し入ったもののあっという間に捕まり7年の実刑を食らうことに。しかし独房で暴れまわり自分を「チャールズ・ブロンソン」だと言い張り刑務官をボコボコにぶん殴る彼に刑務所も手を焼き、精神病院に送り込まれるもそこでも暴れ回るからついに釈放されてしまう。しかしシャバに出て数週間後、宝石店で強盗をやったおかげでわずか69日で再収監され、再度刑務所の中で大暴れするのであった……という全編通してブロンソン役のトム・ハーディが暴れ回る映画である。

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 おれがこの映画で「うわっ」と思ったのはブロンソン氏が大暴れする動機が当初は「有名になりたい」というものだったことだった。

 ブロンソンが最初の犯罪を犯すのは1971年。当時の英国経済はズタズタで、無職が街にウヨウヨし、若者は猛烈な鬱屈を溜め込みながら失業保険で食いつないでいた時期である。『ブロンソン』本編でも「当時のイギリスは若者にとって楽しい場所ではなかった」という述懐は語られる。要はめちゃくちゃ不景気で辛気臭い時代に「承認欲求だけは人一倍強いがどうやって承認されたらいいのかさっぱりわからない奴」が現れてしまったのである。
 
 これではまるで現代の日本のようではないか。

 ブロンソンが最初に郵便局を襲った時にはインターネットがなかったが、今のおれたちにはインターネットがある。そしてネットは有名になってチヤホヤされたり承認されたりしたいけどどうしたらいいのかわからない「ちっちゃいブロンソン」で溢れている。彼らは全裸で刑務官を殴る代わりにブログを燃やして暖をとり、ページビューの数値やコメントのチヤホヤ感に一喜一憂する。

 この映画ではブロンソン自身による語りが随所に挿入される。その自分語りのシーンは、大きな劇場で顔が見えない聴衆に向かってタキシードのブロンソンスタンダップコメディ的に自らの生い立ちや行動を楽しく語り、時には顔面をあしゅら男爵のように左右で塗り分けて一人芝居をしたりする、というものだ。それはまるでどこの誰ともわからないアカウントに向かって内容のない自分語りを放り投げてしまう、インターネットでのおれやおれ以外の誰かのように見える。

 ブロンソンは確かに極端だ。普通は刑務所で全身に絵の具を塗りたくって全裸で大暴れしたりしない。しかし「有名になりたい」「チヤホヤしてほしい」という願望はおれにもあるし、それを実現できそうな方法が周りになにもなかったらおれはどうしていただろうか。おれと狂人ブロンソンは地つづきなのではないか。こないだ燃えていたあのアカウントはどうだろうか。ブロンソンのような鬱屈はなかったと断言できるだろうか。

 そういった意味で『ブロンソン』は極めて現代的な映画である。誰の心にもブロンソンはいる。特に日がな一日インターネットに入り浸っているような奴の心には。