Everything's Gone Green

感想などです

コメント付きリツイートで人が死ぬ

dragoner.ねっと: 誰が「召集拒否家族」のまとめを消させたか? という話

↑しばらく前に話題になったこの記事。おれはこれを「ははあなるほど。地獄だなあ」としみじみ読んだのだけど、ちょっとこれに近い(規模はず〜っと小さいんで全く致命傷ではないですが)事態が起こったので備忘録的に文章にしておきたい。

 

 この週末、おれは映画を見に行った。その道中で、どうにもセンスのヤバすぎる映画宣伝の看板を新宿ピカデリーで見つけてしまったのである。

tenkunohachi.jp

 

 この映画なんすけど。

 この『天空の蜂』、試写会に来た客を相手になにやらよくわからないアンケート?のようなものをしたらしく、その結果を映画の宣伝に使っているのだけど、まあその内容が噴飯ものですごい。一応該当の広告のURLを下に貼ったけど全然面白くなくてバカみたいな上に映画を見る気をなくす広告なんで別に見なくても死にません。

tenkunohachi.jp

 

 

 で、これは酷いと思ったんで手元のiPhoneでポチリと撮影。「ひでーなこれ!」と思いながらツイートしたのである。

 

  ↑該当のツイートでございます。

 

 

 これがなんだかよくわからないけど微妙にバズった、ような気がする。2000RTを超えることなんておれのアカウントではまずない。バズる、ということの基準がどのあたりなのかよくわからないが、まあおれの基準ではこのアクセス数はあんまりない出来事だから、充分レアケースと言える。

 

 

 で、こっからが本題なんだけど、この反響のおかげでツイッターの通知欄が爆発してしまった(比喩です)。単にRTされたりふぁぼられたりしてその通知がいっぱい来る、というのはまあいい。それはいいんだけど、ほんとにやべえな、これは危ねえな、と思ったのがコメント付きリツイートというやつである。他人のツイートに自分の意見を一言のっけてタイムラインに放流できるというアレだ。

 

 今回の場合ネタがクリティカルすぎた、という原因はある。昨今の邦画のゴリ押し感、その割の内容のショボさ、『天空の蜂』という作品のメジャーかつダメ邦画の代表格(みたいに見える)なルック、監督が堤幸彦スノッブツイッターのユーザーならではの「世間でメジャーのものをひっぱたきたい」という願望などなどエトセトラエトセトラ。当該のツイートを投稿した時には気付かなかったけど、インターネットにおいて『天空の蜂』はまるで第一次大戦直前のバルカン半島のような映画だったのである。

 

 で、その結果ほんとにつらいコメント付きリツイートの通知がおれのアカウントにモリモリと寄せられた。別にそのコメント付きリツイートの発信者を叩きたいわけではない(ウソです。ちょっと文句言いたいです)ので個々のコメント付きリツイートに関してのおれの感想や意見はここでは避けますが、まあほんと皆様おれのツイートを踏み台にして色々自由奔放に発言しており、まことに大変だ。繰り返すが、おれの発言はそこでは踏み台みたいなもんである。

 

 このエントリの冒頭にリンクを載せたdragonerさんのブログではいわゆる「クソリプ」は発信者を叩こうとして発生するわけではなさそう、ということが具体的な数字でもって示されていたけれど、今回のおれの体感と照らし合わせてもこれは多分事実である。皆様おれに向かって文句を言ってきたわけではなく、「天空の蜂の面白さが理解できないとかさっさと死ねこのゴミムシ!」みたいな反応はおれに観測できた範囲では全く存在しなかった、と思う。本当に面白い映画だから宣伝に騙されないでほしい、という反応はあったけどほんとにちょっとだけ。

 

 ではどんな意見が多かったのかというと、ゆるやかな賛同者だ。そしておれの元ツイートに乗っかってちょっとうまいこととか、世の中や邦画に対する不満とか、なんか全然関係ない自分の話とかをツイートする人々である。いや、おれと同意見の人がいるのはいいんですよ。「キミもそう思うか〜そうにゃんな〜〜」って話だ。でも、こう、それならそれでおれのツイートを踏み台にしないで、自分でその意見を発信してみては……と余計なことも思わなくもない。そして第一そのゆるやかな賛同で通知欄が爆発してしまうと、まあ平たく言ってけっこうウンザリしてしまうのである。たかだか2000RT程度でこのウンザリ感なので、もっと激しく「ゆるやかな賛同者」たちによる攻撃(もう攻撃と書いてしまおう)に晒されたアカウントのしんどさはどのようなものか、想像したくもない……。

 

 とにかく「うまいことを言う」とか「面白く自分の話をする」のは難しい。一生かかって追求しても追求しきれないような非常に難しい課題と言っていいし、そのためには訓練だって必要だ。そして世の中の普通の人はそんな訓練なんて受けてない。必要ないし。でも、インターネットのおかげで普通の、なんの訓練も受けていない人間がホイホイ発信者になれるようになった。それ自体は悪いことじゃないんだろうけど、じゃあそれで全員がナンシー関並みに鋭く面白いことを書けるようになるわけではない。そしてその結果、ネットには「誰かがなにか上手いことや面白いことや辛辣なことを言おうとした残骸」がプカプカと浮かんでは消え、ふとした瞬間にそれがドバーッと誰かのツイッターの通知欄になだれ込むという悲惨な事故が多発するのである。これはあまりにも悲しい。

 

 この悲しすぎる事態は「コメント付きリツイートは元のツイートを投稿したアカウントの通知欄にも表示される」という正しい知識、「自分が言おうとしている発言は誰もが思いつくものなのでは……?」という危惧、そして「2000も3000も通知が飛んできたらツイッターの通知欄は爆発するだろうな……」という他者を慮る想像力で防ぐことができると思う。できればもうこれは義務教育で教えてあげてほしい。人間は他者を思いやり、いたわることができる生き物だ。もう誰もクソリプが原因でアカウントに鍵をかけたりしなくていい世の中が来ることを、今おれは切に願っている。