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Everything's Gone Green

感想などです

車が吹っ飛び、モラトリアムは終わる。 『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

マッドマックス 怒りのデス・ロード』を見た。

 ネタバレを気にするような映画ではないと思うけど、気になる人はここから先は読まないでください。

 


映画『ベルフラワー』予告編 - YouTube

 ちょっと前に公開された映画で『ベルフラワー』という作品があった。

 もはや神格化すらされている映画『マッドマックス2』の悪役であるヒューマンガス様に心酔し、まだ見ぬ"世界の終わり"に備えて火炎放射器付きの改造車「メデューサ号」を作ったり、自作した手持ちの火炎放射器火炎放射器ばっかりである)を試射したりで時間を潰しているウッドローとエイデンの無職ボンクラ2人組。しかしある日立ち寄ったダイナーで行なわれたコオロギ早食い選手権に出場したウッドローは同じく出場者だった女、ミリーといい感じになり付き合うように。舞い上がるウッドロー。しかし元々ミリーとデキていた間男のマイクとミリーのセックスの現場をウッドローは目撃してしまい、ショックで家を飛び出したら車に撥ねられて大怪我。退院して腹いせにミリーの友人と関係を持つも気分は晴れず、そこにマイクが「ミリーの荷物返せよ」と言ってきたからさあ大変、ミリーの荷物を彼女の自宅の前で焼き払ったりその復讐としてミリーがウッドローの顔にヒゲの入れ墨を入れたりと、どこから現実でどこから非現実なのか判然としない、夢と現を行ったり来たりしながらの報復合戦の果てにウッドローはどこにたどり着くのか……、という話である。

 この『ベルフラワー』、恋愛を扱った映画ではあるんだけど、おれは核戦争によって滅んだ世界という”ここではないどこか”を夢見ながら日がな一日火炎放射器を振り回して遊んでいる主人公ウッドローとエイデンの無職(無職っぽく見えたけど違ったかもしれない)コンビのほうが気になっていた。「このクソみたいな世界が核で燃え尽きちまえば、火炎放射器付きの車を作って準備しているオレたちの方が強者になれるのに!」とくすぶりながら日の高いうちからビールを啜る彼らの生活は本当に自堕落で、いい歳のおっさん2人が無理矢理モラトリアムを引き延ばしているようにしか見えなかった。気持ちはわかるけども。

 

 


Mad Max: Fury Road - Official Main Trailer [HD ...

 で、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』である。『マッドマックス』シリーズの第四弾にして最新作であるこの映画だけど、もうほんとこれが超ド級の大傑作だ。ストーリーは至って簡単。水と燃料と食糧が超貴重品になっている荒れ果てた世界で、流れ者のマックスが悪役イモータン・ジョーの軍勢にとっつかまる。が、ひょんな事からジョー配下の女戦士フュリオサとジョーの元で子どもを産むためだけに飼われていた女たちの反乱に同行することになり、最凶改造車軍団との決死の戦いに挑むというものだ。脳味噌がミジンコ程度しかない連中が考えたようなトゲトゲの改造車が派手に吹っ飛び、人がゴミのようにポンポン死ぬという地獄のだんじり祭りのようなゴキゲンな快作である。

 

 ストーリーの核となるフュリオサは実は元々ジョーの配下だったわけではなく、子どもの頃に誘拐され戦士として育てられた女であり、その子ども時代の記憶を元に、荒れ果てた世界の中で草木が生い茂る緑の地(彼女の生まれた土地でもある)を目指して、ジョーの飼っていた女たちと共に命をかけた大脱出を図る。しかし、たどり着いたその地はすでに土地の汚染によって枯れ果てていた。そこでフュリオサはさらに遠くを目指し、本当に草木を生やすことができる土地があるかどうかわからないにも関わらず、枯れ果てた広大な砂漠を踏破しようとする。

 その決断に待ったをかけるのがマックスだ。彼はそんな勝率の低い博打ではなく、水が潤沢にあり畑にすることができる土地もあるイモータン・ジョーの根拠地を奪い取ることをフュリオサに提案する。"ここではないどこか"にある理想郷を目指してエクソダスするのではなく、"今、ここ"で戦い、自らの生存を勝ち取ることを説くのだ。そしてマックスとフュリオサ、それに女たちは今まで乗っていた巨大なトレーラーを活かした最後の戦いに打って出る。"ここではないどこか"を夢見て行動することをやめ、"今、ここ"でジョーの軍勢と死闘を繰り広げた彼女達は、少なくない犠牲を払いながらもついに勝利し、彼女らの支配者の土地を自らのものにする。

 

 こうして見ると、つまるところ、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』は"ここではないどこか"を探してウロウロするようなモラトリアムの終わりとその向こう側を描いた作品だ。虐げられ逃げ続けたフュリオサらが自分たちを蔑ろにしてきた支配階級に真っ向から勝負を挑み、それに勝つまでの死闘をハイカロリーな語り口で描いたのがこの映画である。だからこそ見終わった時になんだかよくわからない爽快感があり、有り体に言うとおれはけっこう感動してしまったのだ。

 

 『ベルフラワー』のウッドローは核戦争後の地球という"ここではないどこか"を夢見ながらダラけたモラトリアムの中でグズグズし、そしてこっぴどい失恋の果てに地獄のような、悪夢のような世界を見た。しかしウッドローの愛したマッドマックスの最新作では、坊主頭のシャーリーズ・セロントム・ハーディのマックスが雄々しく"今、ここ"でバカみたいな改造車をドンドコ吹き飛ばしながら戦い、そして勝利したのである。『怒りのデス・ロード』は、見ようによってはこれ以上ないくらい優しく(なんせファンが『マッドマックス』というタイトルに求めるものは2000%詰め込まれているのだ)「世界の終わりはまだしばらく来そうにないし、お前らもそこでもうちょっと頑張れよ……」と諭しているような作品だ、というのはちょっと穿ち過ぎだろうか。でも、終わってしまった世界の中でマックスとフュリオサは自らの場所を確保するべく戦った。それはやっぱり、おれには"ここではないどこか"を無責任に求めるのではなくて、お前が今いるその場所で戦え、という話に見える。

 

 聞けば『ベルフラワー』のストーリーは監督と主演を務めたエヴァン・クローデルの実体験に基づくものだという(その時の失恋の相手がミリーを演じたジェシー・ワイズマンだとか)。"ここではないどこか"を求めた自らが精神的に破滅する話を映画にしたこの人が、"ここではないどこか"を求める願望が爆発と轟音の中で終わり、"今、ここ"での死闘へと切り替わる『怒りのデス・ロード』を見てどう思ったのか、おれは今非常に気になっている。だれか聞いてきてくれませんかね。いや、ほんとに。