Everything's Gone Green

感想などです

1/22に見た映画

太陽の下で

 北朝鮮の市民の生活を追ったドキュメンタリー……なんだけど、この映画のキモがドキュメンタリーの撮影現場で「演技指導」をする北朝鮮の政府関係者らしき人物の様子が無断で映っちゃってる、という点だ。

 

 詳しくは公式WEBサイトをどうぞ。

映画『太陽の下で』オフィシャルサイト

 

 この映画でグッときたのは演技指導をする北朝鮮当局のおっさんの間抜けさ加減、そしてその合間合間に挿入されている、演技指導されている立場の北朝鮮の普通のおじさんやおばさんの、なんだかボケッとした表情だ。北朝鮮の人たちは特に疑問を抱いた表情を浮かべることもなく、「ああはいはい今回はあのパターンですね……」という感じで撮影班のカメラの前で指導に応じ、若干弛緩した空気を出しつつも、本番では我々がよく見る「躍進!主体思想!偉大なる同志金正恩万歳!」といういつものあのテンションをサッと出してみせる。「あ〜〜〜やっぱこういうの慣れてるのか〜〜〜〜〜〜」と思った。

 

 この映画は「ドキュメンタリーが嘘をつく瞬間を撮影することに成功したドキュメンタリー」である。そこに映しだされる北朝鮮当局の様子はどう見ても滑稽だし、それに付き合わされる北朝鮮の普通の労働者たち(でも多分彼らは「外に見せても大丈夫なレベルの普通の人たち」なんだと思う)はお勤めご苦労様ですという感じである。しかしだからこそ、この北東アジアの巨大なディストピアの様子には息を飲んだ。こんな見え見えのしょうもない演出でも「従わないと死ぬな……」という緊張感はビリビリ走っているし、言いたいことも言えないよな、これは。

 

 それと同時に、この映画もまた撮影者の意図に基づいて編集されたものである。胸に迫るあのラストの少女の涙も、多分撮影されたのは割と最初の方のタイミングなんじゃないかという気がする(論理的根拠はあまりありません)し、そもそも撮影班が密着したあの一家は北朝鮮では比較的裕福な方だと思う。なにが虚でなにが実か、見ているうちになんだかよくわからなくなってくる感じは、ひとつ前のエントリに書いた「ど根性ガエルの娘」にちょっと通じるものがある。ドキュメンタリーの虚実という点に関して何かしら思うところがあるならば、去年の「FAKE」と同じくらい見ておいた方がいい映画だと思う(偉そうですね、どうにも)。

 

ザ・コンサルタント

 これは変な映画!予告やポスターの印象では「昼は会計士、夜は暗殺者!」みたいなダークヒーローっぽい雰囲気だったしベン・アフレックバットマンだしで、「イコライザー」とか「ジョン・ウィック」みたいな感じを予想していったらぜんぜんそんな内容じゃなかったのである。

 

 主人公ベン・アフレックの仕事は会計士なんだけど、実は彼は子供の時から重度の自閉症で、チカチカする光も轟音も肌触りの悪い服も死ぬほど苦手なんだけど元軍人のスパルタ親父に鍛えられて今では立派な表裏両方の仕事を受け持つようになりました……という設定。このベン・アフレックが本当にすごくて、ガチムチな体と完全に死んだ目の説得力が凄まじいことに。そして「一度引き受けた仕事は絶対に投げ出さない。なぜなら彼は自閉症だからだ!」という発達障害を逆手に取ったアドバンテージ、いきなり「ウォーリアー」みたいになる終盤などなど、不思議な構成要素がてんこ盛り。とりあえず普通のアクション映画にはしたくなかったんだろうな……という気分になった直後に「普通……普通ってなんだ……」と考え込んでしまうこと必至。不思議な映画でした。嫌いじゃないです。

虚実の彼岸 ど根性ガエルの娘

 今から漫画「ど根性ガエルの娘」とかのことを書くので、できれば以下のリンクの漫画を読んで来てくださいね。

 

r.gnavi.co.jp

  

 そしてこのリンクの「15話」を読みましょう。

http://www.younganimal-densi.com/ttop?id=78#

 

 読みましたか? 読みましたね。怖かったですね。恐ろしかったですね。

 

 我々はフィクションを消費する時、知らないうちに「この話はこういうジャンルだからこういう感じになるはずだ」と、これまでの経験や期待からどこかで決め込んでしまう。この「ど根性ガエルの娘」はその決め込みを利用した極上のミステリだ。

 

 田中圭一の「ペンと箸」で取り上げられた際のストーリーは「スランプやギャンブル狂いや借金と色々波乱万丈だったけど、今では家族揃って平穏にやってます。そんな父の好物はみんなで食卓を囲んで食べる焼肉! おいしいですよね!」という、ちゃんと読者にカタルシスをもたらしてくれるものだ。これに続いて始まった、ど根性ガエルの作者吉沢やすみの実の娘である大月悠祐子の「ど根性ガエルの娘」でも、連載当初はこのカタルシスをもたらした構成は守られる。若くして成功してしまった父とどこか抜けた母のなれそめ。シャレにならないエピソードだって今だから笑えるよね。絵柄もホンワカしていて、なんというか便所でも読める内容。家族を扱ったエッセイ漫画ってこうだよね。わかるわかる。

 

 しかし、娘である作者が誕生した後の話になる2巻の第8話から漫画のギアは一気に切り替わり、到底便所で読める家族エッセイ漫画とは言えない内容に激変。そして昨日公開された15話では、ついに読者が勝手にホンワカしていた場所は実は巨大な地雷原であったことが明かされてしまう。もうこれね、本当に見事な叙述トリックですよ。おれたちは巨大な爆弾の上でボンヤリと茶を飲んでいた。なんと無神経でアホなのか。そこは最初から愛憎渦巻く血なまぐさい戦場であり続けていたのだ……。個人的にはオセロで相手が一気に盤面をひっくり返してしまった時のような、暗い興奮があった。

 

 最初に田中圭一が取材したのは大月の弟なので、父親に対する主観的な評価は全然違う可能性はある。しかし、語られていないことが数多く埋まっており、そのバックグラウンドは果てしない情報量がある。もはや「吉沢やすみの娘自身が描いた」という触れ込みで公開された今までの14話のどこに爆弾が埋まっているかわからないし、誰が本当のことを描いているのかもわからない。多分全部本当なんだとは思うけど、しかしそれにしても、こんな地雷が埋まっているのを見せられて、「今までの話は本当です」とは到底思えない。実録という触れ込みを巧妙に利用した、まさにミステリ的な読み心地である。虚実の判別なんて意味はないし、よく考えたらおれだって父に気を使って心にもないことを言った覚えはある。家族というのは虚実や善悪の彼岸にあるものなのかもしれない。

 

 しかししみじみと恐ろしいのは最初に「ペンと箸」を描いた田中圭一だ。田中圭一は有名漫画家の絵柄を勝手に流用して下ネタや下世話なギャグを描きまくるお下劣専門の漫画家と思われているが、その実大変に読者という君主に向けたサービスを欠かさない、まるで中世の道化師というか、モンティ・パイソンの「村のアホ」のコントのようなタイプの漫画家である。「ど根性ガエルの娘」ほどの事態ではないにせよ愛憎入り混じった感情を抱えた父と娘は世の中にたくさんいるだろうが、田中圭一吉沢やすみ一家とは赤の他人で、そして邪悪なサービス精神に満ちた作家だ。普段は巨匠の絵柄でお下劣ギャグを描いている田中圭一がその絵柄のままで有名漫画家たちの個性的でちょっぴり泣けて、しかも全人類共通の関心事である「食」に関するエピソードを紹介する。これほど固い企画もなかなかない。そして田中圭一は読者の需要を見逃さず、実際にはまだ全然ケリがついていないストーリーをあんな美談にまとめあげたのである。

 

 これは別に田中圭一を非難しているわけではなく、逆にすごいなと思っている。まさに職人芸。事実、大半の読者は「う〜んいい話だ」とこの漫画を読んだはずだ。そしてだからこそ、その職人芸を逆手にとって15話で「焼肉」の伏線を鬼気迫る方法で回収した大月悠祐子によるどんでん返しが冴え渡るのである。いや、これはほんとに恐ろしい話ですよ……。

 

 それにしてもグッとくるのは、大月悠祐子はこの状況で「Piaキャロットへようこそ!!2」とか「ギャラクシーエンジェル」とかゼロ年代前半の能天気なオタクコンテンツの漫画を描いていたのか……という点。なんというか、もうあらゆる意味で職人芸としか言いようがない。

女の子のプラモ

 女の子のプラモデル、というものが世の中では売っている。なんやそれ、という感じだけど、売っているのだから仕方がない。それも、昨今バカ売れしている。

 

www.kotobukiya.co.jp

 言ってしまえば、上のリンクのようなやつである。アクションフィギュアではない。プラモデルである。島田フミカネの、フミカネ絵の女の子が、バラバラに分解されて、型を取られて、複製されて、箱に詰められて、数千円で取引されている。

 

 それは犯罪なんじゃないのか。

 

 そういうものを作ってみたという話です。

 

 今回作ったのは、このキットだ。

www.kotobukiya.co.jp

 普通にヨドバシで買って帰ってきたんだけど、箱を開けてみるとガサッとランナーが入っていて、一見普通のプラモデルである。しかし、よく見ると女の子の体が文字通りバラバラになっており、髪の毛とかも毛先がハネている部分とかは別部品になっている。毛先がバラバラなのだ。なるほどプラモデルで毛先を作ろうとするとこうなるのか、と感心する。

 

 で、とりあえずパチパチ組み始めるんだけど、一番気になった頭の部分から組んでいくと、これがなんというか、よくできている。可愛いのである。ついさっきまでバラバラの部品だったのに、ちょびっと部品を組み合わせると、そこには島田フミカネの、あの微妙にボーッとしてどこに焦点があっているのかよくわからない目つきの女の子の首ができている。

 

 なんだこれは、と思いましたね。

 

 続いてその首の下の胴体を作ったのだけれど、ここでびっくりしたのが、とにかく部品が小さいということだった。普段おれはよくアメリカ製のアクションフィギュアで遊ぶのだけど、ほぼ同スケールの6インチフィギュアに比べて、このキットの胴体なんか1/5くらいの大きさしかない。肩が薄い。胴体の部品なんか1/48のジープのボンネットくらいの大きさしかない。そうか、フミカネ絵の女の子は1/12にするとこんなに小さいのか……。よくわからない納得が心の底から湧き上がってくる。

 

 この女の子のプラモデルは関節が動くようになっている。だから当然膝や肘の部分はひねったり曲がったりするようになっているし、その部分は部品が分割されている。分割されているということは自分で組み立てなくてはならないということであり、組み立てなくてはならないということは組み立てなくてもいいということだ。

 

 頭を作って小さな部品を使って胴体を作って、手足の付け根の部分になるパーツを胴体に取り付けたところで、はは〜ん、と思いましたね。これ、ロボットとかだったら単に組み立て中で済む話なんだけど、今回は女の子である。単に組み立て中では済まない。プラモなのにおれが知ってるプラモじゃない。人体の迫力。途中なのに「なんかもうこれでいいか」という興奮がある。

 

 

 

 あまりにも「作りかけの女の子プラモ」の迫力がすごかったので、こういう感じで、四肢切断された状態のものを作ることになってしまった。ガワのメカ部分はいつもやっている工作だからものすごく新鮮とかそういうことはないんだけど、とにかく女の子の部分は試行錯誤の連続である。特にグッときたのはデカールを貼っているときだった。

 

 

 

 コーションマークのデカールを皮膚に貼った瞬間、人間というより、なにか物っぽい質感が一気に立ち現れてめちゃくちゃグッときた。顔面に刺青をした縄文人もこんな心境だったのかもしれない。知らんけど。

 

 というような色々があって完成した。

 

【立体】「BUG [U.S. Marines s/n 0-17411]」イラスト/gerusea [pixiv]

 

 やってて一番楽しかったのは、人体の表面にデカールを貼る工程だった。あまりにも未知のジャンルの模型だったので反省点も多いけど、女の子の模型、もうちょっとやってみたいっす。

ローグワンのこと

 今まで全然ローグワンについて何かを書く気になれなかったんだけど、それはそれとしてローグワンは去年見た映画の中では一番面白いタイトルだった。

 

 この映画はスターウォーズのオタクに対して、「お前はスターウォーズに何を求めていたのか」と問うてくるタイプの作品である。EP7が「観客全員が『スターウォーズを見た』と納得できる作品」を志向した開かれた映画であるのに対し、ローグワンは確実に閉じている。なんせEP4という、すでに遠い昔に作られ終わった映画に収斂するように作られた作品なのだ。言ってしまえばハナからある程度は内輪向け、ガンダムで言えばMSV、オタク大暴走みたいな映画である。

 

 でもね〜〜これがね〜〜よかったんですよ。

 

 ローグワンは明確に「絵面とディテールで人間を納得させる」ことを目指した映画である。そしてその絵面の内容というのが、ズバリ戦争である。内戦下のシリアのような風景の中をAT-STが歩き回り、ブラスターを抱えたストームトルーパ—が銃座のついたMRAPみたいなクルマのまわりを歩いて移動している。ようやくスターウォーズメタルギアソリッド4に追いついたのだ。そして後半のスカリフの戦闘に至ってはもう完全にベトナム戦争だ。反乱軍の兵士はスチールヘルメットにM69ボディアーマーを着てジャングルの中を歩き回り、UウイングのドアガンでAT-ACTの脚を撃ちまくるのである。戦争だ。ローグワンはスターウォーズで戦争をやった映画なのである。血が沸かないワケがない。

 

 スターウォーズは実在の兵器や兵士の服装のディテールをこれまでにないレベルでSF映画にぶっこんだタイトルである。だからそれが「リアル」だとされたし、数多くのフォロワーを生んだ。そして、その中心にいた人間がジョー・ジョンストンである。マクウォーリーと並んでスターウォーズのデザイナーの巨頭とされるジョンストンだが、ティム・ホワイトやクリス・フォスなど70年代SFアートの強烈なエッセンスを漂わせているマクウォーリーと比較するとそのセンスは圧倒的にモダンだ。そしてジョンストンの仕事は圧倒的なミリタリー的情報量に満ちている。なんせドイツ軍パイロットに倣って反乱軍パイロットの脚に信号弾の帯を巻いたのはこのジョンストンなのだ。えらい人なのである。

 

 そんなジョンストンたちが1976年にやった仕事に立ち向かい、そしてまさにローグワン本編同様にバタバタと倒れていったのがローグワンのスタッフである。圧倒的な普遍性を持つスターウォーズのデザインに立ち向かい、そして挫折していく過程を綴った本当に残酷な書籍が、「アート・オブ・ローグワン/スター・ウォーズ・ストーリー」だ。いやこの本マジでキツいんですよ……。

 

アート・オブ・ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー

アート・オブ・ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー

 

 

  ローグワンはEP4に収斂することがあらかじめ決まっている映画である。だからこの映画で足される新要素もEP4に収斂しなくてはいけない。そしてこの映画で足された新要素は最後にはキレイに消え去ることがあらかじめ決まっている。この「アート・オブ・ローグワン」は、そんな最初から負けが決まっているような戦いに挑んだプロダクションデザイナーたちの死闘の記録だ。ひとつひとつのデザインに盛り込まれた新しい要素が削られ、没になり、そして最後にはジョンストンという巨大なシールドにぶつかって爆死する。そりゃ最初からわかってはいたけど、それぞれのデザインの結末を見ると切なくなる。

 

 それと同時にこの本で分かるのが、ローグワンは明確に戦争、それも20世紀の半ばに戦われたいくつかの戦争を志向していたという点だ。巻頭に掲載されているイメージボードを見た時におれは戦慄した。キリングフィールドに積み上げられた頭蓋骨のように無造作に積まれたストームトルーパ—のヘルメットの脇で銃を担いで立つ反乱軍の兵士。まるで1960年代の東南アジアで撮られた写真のような絵面。それなのにスターウォーズ。おれはこの足し算のセンスに痺れた。これは1976年には不可能だった仕事である。なんせ当時はベトナム戦争だって終わった直後だ。ジョンストンが20世紀の東南アジアの戦争を咀嚼するのは時間的に近すぎる。これは2016年だったからこそできたことだと思う。ローグワンのプロダクションデザイナーは、その一点においてルーカスという安全弁がついていたジョンストンたちの仕事に勝った。

 

 思えばスターウォーズはタイトルにウォーズってついているにも関わらずあんまりマジメに戦争をやろうとしてこなかった。ルーカスが志していたのはあくまで素朴な活劇だったので、戦争はあくまで辺縁のディテールに留まっていた。しかしローグワンは違う。「戦争SFとしてのスターウォーズ」が初めて顕現したのである。そしてそれこそがおれの見たいものだった。おれはスターウォーズに戦争をしてほしかったのである。チャチなCGアニメのクローン大戦なんかじゃない、あの世界で行なわれる本物の戦争が見たかったのである。そりゃもう泣く。泣くしかない。

 

 「戦争を志向し表現する」というその一点の純度において、ローグワンはEP4を上回ることができた。だからおれはこの先どんなにつまらないスターウォーズの新作を見せられてもニコニコしていられるだろう。なぜなら、おれにはローグワンがあるからだ。

1/9に見た映画

ドラゴン×マッハ!

フタをあけてみるまでこの映画が『SPL2』だってことがわからなかった映画。まあこれをSPL2だと知らずにボンヤリ見たのはおれくらいのものだろう。ワハハ。

とにかく殴り合いのシーンは全編ベストバウトな勢い。ガチンコのハイスピードな殴り合いの映画なんだけど、その上ベタベタな難病ものでもあり火傷しそうなほど熱いバディものでもあるという、漢のお子様ランチみたいな映画でした(無論女子が見ても面白いです)。

しかしあの獄長、すごかったですね。極端なツーブロックでビシッとスーツを着こなし、ウー・ジンの打撃とトニー・ジャームエタイを捌いて捌いて捌きまくる。実写映画なのにひとりだけSNKの格ゲーみたいな別格の存在感でありました。その上エンドロールで流れるテーマ曲の歌詞がドン引きするほど熱量がある。必見。

 

あと、おれはようやく気がついたんだけど、『SPL』ってタイトルはアレですか、『殺破狼』の頭文字をとったタイトルなんですか。知らなかった。

 

ホワイトバレット

アジア最強クラスのフィルムメーカーの一人(だとおれが勝手に思っている)ジョニー・トーの新作。

基本病院の中での駆け引きがメインなんで印象としてはどうしても地味なんだけど、銃撃戦はさすがのトリッキーさ。「もしもジョニー・トーがOK GoのPVを撮ったら」というようなアイデア満載のシーンでありました。あそこだけ500円くらいで見せてくれねえかなあ。

あとジョニー・トー作品にしては画面の色が妙にパキパキで近代的な病院の表現としてはピシッと馴染んでいたんですけども、なんかいつもと違うカメラとか使ってるんでしょうか。知りたい。

しかしトーさんはもう「エグザイル 〜絆〜」みたいな「努力! 友情! 銃撃戦!」みたいな映画は飽きちゃって、なんだかやるせないノワールの方に興味が行っちゃったんですかね。ちと残念。

「この世界の片隅に」を見て思い出したこと

   映画「この世界の片隅に」を見た。正直パッと感想が固まる気分でもないので、この映画を見てなんとなく思い出したことを書こうと思う。

   思い出したのは母方の祖母のことである。母方の祖母はすずさんよりもちょっと年下で、いまでも存命で、祖父とともに岐阜の山の中で暮らしている。最近は1人で山に登って降りてくるのはさすがにキツいようだが、いまでも遊びに行くとやれ今年取れた落花生を炒ったものだとかこの間干した干し柿だとかお歳暮でもらった饅頭だとかを出してくれるし、驚異的な速度でお茶をいれてくれたりする。そもそもあの年代である程度田舎に住んでいた年寄りは驚異的によく働く。この祖母も、未だに家から近い畑の面倒は自分で見ている。起きて動いている間はなにかと働いていないと落ち着かない、そういう感じの人である。

 

   祖母が嫁いだのは地元でもそこそこの規模の豪農であった。曽祖父(つまり祖母からすると舅である)は地元で初めて洋装で外を歩いた人として有名で、昭和のはじめくらいまでは小作人に土地を貸し出しているような立場の人であったらしい。あったらしい、というのはこれらの土地は遠い昔にGHQの農地解体でバラバラにされてしまっていたからで、おれが生まれたころはおろか、おれの母親が生まれたころには「そこそこでかい百姓の家」という程度になっていた。曽祖父はずっとGHQの悪口を言っていたらしい。

 

   祖母がその家の嫁さんとして選ばれた理由は、「とにかく頑丈でよく働きそうだから」というものだったらしい。まるで農機具感覚である。旦那さん、つまりおれの祖父は前述の家の三男坊であった。三男なのでもともとは家督を継ぐ立場にはないが、出征した上の2人の兄が死に、繰り上がる形で家を継ぐことになったという。祖父にその上の兄らが戦死しいよいよ戦局が差し迫った時にどう思ったか聞いたことがあるが「おれもボチボチかなあ、と思いつつ、裏の山に登って蔵で見つけた日本刀を振り回して竹を切っていた」というもので、なるほどそんなものかなあ、と思ったのを覚えている。今思うと祖父なりに切羽詰まった思いもあったのではと思うが、切っていたのは竹である。まあそのへんにたくさん生えてるもんな、竹……。この祖父は変わった人で、若いころは緑色の革ジャンを着て山羊髭を生やし、単車に乗ってそこらを走り回っていたとのことで、まことに祖母の苦労が偲ばれる。おれが生まれたころには酔うと話の規模がでかくなる(大抵最後は宇宙規模になる)ただの好好爺になっていたので、祖父がイージーライダーみたいな感じだったころのことはおれは知らない。

 

   祖母に戦時中のことを聞いてみたことがあるが、それほど差し迫ったものではなかったようだ。要約すると「防空壕に出たり入ったり、という訓練はしたものの、このあたりは田舎だから特に空襲にあったということもなく普通に畑の面倒をみたりしているうちに戦争は終わっていた」という感じであり、戦時中のエピソードとして特に際立ったものは聞いたことがない。実際特になにもなかったのだと思う。今ではリフォームしてしまったが、おれが小学生のころまでは戦前どころかいつから建っていたのかいまいちよくわからない家がそのまま残っており、焼けたり建物疎開にあったり、ということが特になかったのがその照明であるように思う。

 

   そんな祖母だが、いまだに思い出話をする時に鋭い目つきになるエピソードがある。「1人で餅をついた」という話である。ちなみに戦後の話ではあるらしい。地味だ。

 

   ある日、舅(つまりおれの曽祖父)が、いきなり餅を食べたいと言い出した。時期は正月でもなんでもなく、餅の備蓄なんてどこにもない。知っての通り、餅というのは餅米を臼と杵で突いて作るが、その前にも釜とせいろを準備して火を起こし餅米を蒸す……というような準備段階がいろいろとあり、けっこうめんどくさい食い物である。今のような餅つき機などない。姑に手伝いを頼むなどもってのほか、旦那も単車に乗ってどこかへ出かけてしまっている。

 

   祖母は仕方なしに、とりあえず釜とせいろを用意し、餅米を蒸し始めた。餅を突く時はこの蒸した米を臼にあけ、熱いうちに杵の先で米粒を潰してなんとなくひとかたまりの状態にし、それから皆知っている餅つきの動作になる。すなわち、杵でぺったんとついては横に控えている人がその餅を返し、またついては返す……というのを何度も何度も繰り返えすことで、あのネバネバした餅になるのである。祖母はそれを全部1人でやった。すなわち、1人で杵を振り下ろしては臼に近寄って餅をひっ繰り返し、また杵に戻って1回ついては臼に近寄ってひっくり返し……というのを、なんと3臼(臼一回分の餅の単位としてうちの実家では1臼、2臼という言い方をした)も繰り返したという。驚愕の労働量である。めでたく突いた餅を、曽祖父は食ったそうだ。その時の感想がどういうものであったのか、祖母はなんらかの形で労われたのか、おれは詳しいことは知らない。知らないが、「あれは本当に大変やった」と数十年が経過しても鋭い目つきで回顧する祖母の姿からなんとなく察することはできる。さぞかし大変だったのだろうと思う。絶対にやりたくない。

 

   「この世界の片隅に」を見て思い出したのは、この祖母のことであった。感想がまとまらないので、とりあえずこれを感想の代わりにしておく。

おれは何を考えて機甲兵装の模型を作っていたのか バンシー編

 前回に引き続き機甲兵装の模型のことを書こうと思う。今回は前のエントリのコメント欄にちょろっとリクエストをいただいていたバンシーについて。

 

 バンシー、難しい機体である。基本的に機龍警察に登場するメカはけっこうふんわりとしか描写されない。だけど、バンシーは人一倍感情的ながら互いにそれを押し殺している女性キャラクター2名から様々な思いの込められた視線をバンバンぶつけられている機体であり、ゆえに機体の形状や機能に関する描写は他の機体と変わらないのに機体に関するフレーバーテキストは本文中にけっこうある、という状態になっている。なんとなくそのへんのフレーバーテキストの情報を拾いつつ拾わない感じで立体にできるといいな、と作る前に思った。そういうのはやりすぎるとかっこ悪いので、あくまで雰囲気程度にしたいと考えたわけである。ちなみにこのバンシーの前にフィアボルグとバーゲストは完成させていたので、やっぱり主役メカ3機は揃えたいという理由があったのは言わずもがな。

 

 というわけで例によって作る前に「こうなっているといいかな」というポイントをまとめたわけなんだけど、それは大体「遠目に見るとケープを被った人みたいに見えるシルエット」「なんとなく全体に西洋の甲冑っぽい雰囲気」「細いところは細く」「見るからに火力がありそうな感じ」「顔がない、不気味な機体」「ディテールは他の龍機兵同様アーロン・ベックっぽい感じ」くらい。ここまで明文化したわけではないけど、大体そういうニュアンスを満たせればいいかなと。

 

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 頭と胸部〜腰あたりまでを一番最初に作る。ここに太もものブロックをくっつけ、スネの長さで全体のボリュームを調整すると大外れにはならない……と思う。そう思っていたんですよこの時点では。

 

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 バンシー最大の特徴が背中の大型装備。背面には内径3㎜のポリキャップを埋め込んでおき、完成後も取り外しできるように。ここで作ったのはヘルファイアミサイル2本を取り付けた3号装備。ミサイルチューブは東急ハンズで買ってきたアクリルパイプだ。ヘルファイア自体は全長170㎝程度のミサイルなんだけど、後端にはミサイルの排気ノズルからの爆炎を散らすためのペレットが充塡されているという体でチューブ自体は長めに製作。特捜部のトレーラーにはこのミサイルチューブが数本積んであり、リロードの際には三号装備の両翼にあるハードポイントからチューブを取り外して装填されているものに取り替える……という感じを想定しております。

 

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 三号装備も本文では「蝶の羽根みたいな形」と書いてある。これを読んでハタと困ってしまった。長さ170㎝のミサイルが付いているのに形が蝶……。悩んだ末、真ん中にはミサイル照準用のレーダーが搭載されており、その左右に広がる形でハードポイント兼なんらかの電子装備を積んだブレードがついているという体裁でいくことにした。ちなみにこの羽根の部分はアメリカ海軍の無人機X-47の主翼をぶったぎって蝶の羽根っぽくくっつけなおしたものである。

 

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 というわけでなんとか人間の恰好にまで持っていったわけなんだけど、どうにもプロポーションがドン臭い。足が短くて胴体が長い。なんかダサい。パイロットのライザは「プロポーションがいい」とハッキリ書いてあるのにこれはいかん。ということで、急遽股関節の位置とスネから下の長さを調整することに。

 

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 こちらが調整後。これはけっこう工作が進んじゃった後の写真なので色々部品がくっついているけど、機体の高さはあんまり変えていないけど股関節の位置が高くなり脚が伸びたのがおわかりいただけるだろうか。ほんとはこんな恰好だと中に人間が入るのは無理そうだけど、まあこっちのほうがかっこいいのでこれでいいのである。

 

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 バンシー名物の飛び出す手槍は、プラの部品でやると絶対に折れるなと思ったので近所の金物屋で千枚通しをふたつ買ってきてこの先端部分を使うことに。で、千枚通しのグリップを分解したんだけど、千枚通しというのは非常に頑丈にできている。とにかく木製のグリップをノコギリで切ろうが金槌で叩こうがなかなか分解できず、最終的には使い古しのニッパーで金属の軸のまわりをバリバリと割り砕くような感じでようやく分解できた。二度とやりたくない作業である。

 

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 取り出した千枚通しの中身。一本につき1時間くらいかかった。

 

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 塗装前、ほぼ組み立てが終わったバンシー。実は全体のプロポーションと同時に肩の装甲の取り付け位置も調整している。それまでは首の左右に金属の軸を生やしてそこに肩装甲の根元を突き刺していたんだけど、なんか肩幅が狭くて貧相かつ窮屈な感じに見えるな〜と思い、いろんなところに着けたり外したりすることに。最終的には肩の後ろのあたりに90°に曲げた金属線を打ち込んで肩装甲の後ろから支える感じに。そうすることで肩の装甲自体が前方に向けて開いた感じになり、より体積があって強そうになった……気がする。上の方にある全体の写真とこの写真を見比べてもらうとけっこう肩まわりの印象が違うのがわかるのでは……。

 あと、頭の形状も最後まで迷ったけど、結局はヘルメットっぽく丸い形にまとめた。やっぱり曲面が多いと書いてある機体なので、一番目に付く部分が丸っこいというのは重要なんじゃないかと思った次第。実際この模型は本文に書いてあるほど曲面が多いわけではないかな〜という感じなので、頭くらいは丸っこいフォルムじゃないとアカンやろと思ったわけである。あと単純に形を削る前の頭はけっこうダサかったというのもある。これも上の方の写真と見比べてみると違いがわかるはず。

 

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 塗装。缶スプレーで一度真っ黒に塗ってからエアブラシで白を吹き付ける。なんせ黒いものを白く塗る必要があるので、隠蔽力が強いといわれているガイアノーツの塗料を使ったら本当に一発で白くなった。この時点で「バンシーじゃん!」とテンションが上がる。

 

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 細かいところを塗り分ける。もうこれで完成でよくない?という気持ちになる。なんせ大きいミサイルを背負っているので塗る手間が2体ぶんくらいある。割と途中でイヤになった。

 

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 「SIPD PD3」の文字は左肩に。なんせここくらいしか貼れる面積のある部分がない。

 

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 つづいて全体にコーションを貼る。これも貼る部分が2体ぶんある感じの作業だったので途中でウンザリするんだけど、これをやらないと全体の印象が締まらないんだから仕方ない。これらのコーションマークは特別意味があって貼っているのではなく「ここにはなんか文字っぽい情報がないとボンヤリするな〜」みたいな判断基準で貼っているので、おれの機甲兵装の模型にはガンダムセンチュリー的な気持ちはあってもガンダムセンチネル的な厳密さはない。やはりセンチネルはすごいのである。

 

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 ウォ〜〜ッと全体をウォッシングして完成。白なので汚れが目立ちまくる。思ったより汚れちゃったな〜〜と思いつつ、これくらいやんないと見栄えがしないヘッポコ模型なので仕方がない。

 

 というわけで駆け足だったけどバンシーが完成した。人間の恰好をしたものはちょっとでもプロポーションのバランスを間違えると途端にダサくなるので難しいっすね。でもとりあえずこれで龍機兵三機はできたので満足満足……と思っていたところ、これが完成したちょっと後に色々な人たちから「なんでキキモラを作らないんですか!?」と言われてキキモラをやり、さらに「キキモラあるのに他の悪役がないのはなあ……」ということでその他の悪役メカも作ることになったのだった。