Everything's Gone Green

感想などです

1/9に見た映画

ドラゴン×マッハ!

フタをあけてみるまでこの映画が『SPL2』だってことがわからなかった映画。まあこれをSPL2だと知らずにボンヤリ見たのはおれくらいのものだろう。ワハハ。

とにかく殴り合いのシーンは全編ベストバウトな勢い。ガチンコのハイスピードな殴り合いの映画なんだけど、その上ベタベタな難病ものでもあり火傷しそうなほど熱いバディものでもあるという、漢のお子様ランチみたいな映画でした(無論女子が見ても面白いです)。

しかしあの獄長、すごかったですね。極端なツーブロックでビシッとスーツを着こなし、ウー・ジンの打撃とトニー・ジャームエタイを捌いて捌いて捌きまくる。実写映画なのにひとりだけSNKの格ゲーみたいな別格の存在感でありました。その上エンドロールで流れるテーマ曲の歌詞がドン引きするほど熱量がある。必見。

 

あと、おれはようやく気がついたんだけど、『SPL』ってタイトルはアレですか、『殺破狼』の頭文字をとったタイトルなんですか。知らなかった。

 

ホワイトバレット

アジア最強クラスのフィルムメーカーの一人(だとおれが勝手に思っている)ジョニー・トーの新作。

基本病院の中での駆け引きがメインなんで印象としてはどうしても地味なんだけど、銃撃戦はさすがのトリッキーさ。「もしもジョニー・トーがOK GoのPVを撮ったら」というようなアイデア満載のシーンでありました。あそこだけ500円くらいで見せてくれねえかなあ。

あとジョニー・トー作品にしては画面の色が妙にパキパキで近代的な病院の表現としてはピシッと馴染んでいたんですけども、なんかいつもと違うカメラとか使ってるんでしょうか。知りたい。

しかしトーさんはもう「エグザイル 〜絆〜」みたいな「努力! 友情! 銃撃戦!」みたいな映画は飽きちゃって、なんだかやるせないノワールの方に興味が行っちゃったんですかね。ちと残念。

「この世界の片隅に」を見て思い出したこと

   映画「この世界の片隅に」を見た。正直パッと感想が固まる気分でもないので、この映画を見てなんとなく思い出したことを書こうと思う。

   思い出したのは母方の祖母のことである。母方の祖母はすずさんよりもちょっと年下で、いまでも存命で、祖父とともに岐阜の山の中で暮らしている。最近は1人で山に登って降りてくるのはさすがにキツいようだが、いまでも遊びに行くとやれ今年取れた落花生を炒ったものだとかこの間干した干し柿だとかお歳暮でもらった饅頭だとかを出してくれるし、驚異的な速度でお茶をいれてくれたりする。そもそもあの年代である程度田舎に住んでいた年寄りは驚異的によく働く。この祖母も、未だに家から近い畑の面倒は自分で見ている。起きて動いている間はなにかと働いていないと落ち着かない、そういう感じの人である。

 

   祖母が嫁いだのは地元でもそこそこの規模の豪農であった。曽祖父(つまり祖母からすると舅である)は地元で初めて洋装で外を歩いた人として有名で、昭和のはじめくらいまでは小作人に土地を貸し出しているような立場の人であったらしい。あったらしい、というのはこれらの土地は遠い昔にGHQの農地解体でバラバラにされてしまっていたからで、おれが生まれたころはおろか、おれの母親が生まれたころには「そこそこでかい百姓の家」という程度になっていた。曽祖父はずっとGHQの悪口を言っていたらしい。

 

   祖母がその家の嫁さんとして選ばれた理由は、「とにかく頑丈でよく働きそうだから」というものだったらしい。まるで農機具感覚である。旦那さん、つまりおれの祖父は前述の家の三男坊であった。三男なのでもともとは家督を継ぐ立場にはないが、出征した上の2人の兄が死に、繰り上がる形で家を継ぐことになったという。祖父にその上の兄らが戦死しいよいよ戦局が差し迫った時にどう思ったか聞いたことがあるが「おれもボチボチかなあ、と思いつつ、裏の山に登って蔵で見つけた日本刀を振り回して竹を切っていた」というもので、なるほどそんなものかなあ、と思ったのを覚えている。今思うと祖父なりに切羽詰まった思いもあったのではと思うが、切っていたのは竹である。まあそのへんにたくさん生えてるもんな、竹……。この祖父は変わった人で、若いころは緑色の革ジャンを着て山羊髭を生やし、単車に乗ってそこらを走り回っていたとのことで、まことに祖母の苦労が偲ばれる。おれが生まれたころには酔うと話の規模がでかくなる(大抵最後は宇宙規模になる)ただの好好爺になっていたので、祖父がイージーライダーみたいな感じだったころのことはおれは知らない。

 

   祖母に戦時中のことを聞いてみたことがあるが、それほど差し迫ったものではなかったようだ。要約すると「防空壕に出たり入ったり、という訓練はしたものの、このあたりは田舎だから特に空襲にあったということもなく普通に畑の面倒をみたりしているうちに戦争は終わっていた」という感じであり、戦時中のエピソードとして特に際立ったものは聞いたことがない。実際特になにもなかったのだと思う。今ではリフォームしてしまったが、おれが小学生のころまでは戦前どころかいつから建っていたのかいまいちよくわからない家がそのまま残っており、焼けたり建物疎開にあったり、ということが特になかったのがその照明であるように思う。

 

   そんな祖母だが、いまだに思い出話をする時に鋭い目つきになるエピソードがある。「1人で餅をついた」という話である。ちなみに戦後の話ではあるらしい。地味だ。

 

   ある日、舅(つまりおれの曽祖父)が、いきなり餅を食べたいと言い出した。時期は正月でもなんでもなく、餅の備蓄なんてどこにもない。知っての通り、餅というのは餅米を臼と杵で突いて作るが、その前にも釜とせいろを準備して火を起こし餅米を蒸す……というような準備段階がいろいろとあり、けっこうめんどくさい食い物である。今のような餅つき機などない。姑に手伝いを頼むなどもってのほか、旦那も単車に乗ってどこかへ出かけてしまっている。

 

   祖母は仕方なしに、とりあえず釜とせいろを用意し、餅米を蒸し始めた。餅を突く時はこの蒸した米を臼にあけ、熱いうちに杵の先で米粒を潰してなんとなくひとかたまりの状態にし、それから皆知っている餅つきの動作になる。すなわち、杵でぺったんとついては横に控えている人がその餅を返し、またついては返す……というのを何度も何度も繰り返えすことで、あのネバネバした餅になるのである。祖母はそれを全部1人でやった。すなわち、1人で杵を振り下ろしては臼に近寄って餅をひっ繰り返し、また杵に戻って1回ついては臼に近寄ってひっくり返し……というのを、なんと3臼(臼一回分の餅の単位としてうちの実家では1臼、2臼という言い方をした)も繰り返したという。驚愕の労働量である。めでたく突いた餅を、曽祖父は食ったそうだ。その時の感想がどういうものであったのか、祖母はなんらかの形で労われたのか、おれは詳しいことは知らない。知らないが、「あれは本当に大変やった」と数十年が経過しても鋭い目つきで回顧する祖母の姿からなんとなく察することはできる。さぞかし大変だったのだろうと思う。絶対にやりたくない。

 

   「この世界の片隅に」を見て思い出したのは、この祖母のことであった。感想がまとまらないので、とりあえずこれを感想の代わりにしておく。

おれは何を考えて機甲兵装の模型を作っていたのか バンシー編

 前回に引き続き機甲兵装の模型のことを書こうと思う。今回は前のエントリのコメント欄にちょろっとリクエストをいただいていたバンシーについて。

 

 バンシー、難しい機体である。基本的に機龍警察に登場するメカはけっこうふんわりとしか描写されない。だけど、バンシーは人一倍感情的ながら互いにそれを押し殺している女性キャラクター2名から様々な思いの込められた視線をバンバンぶつけられている機体であり、ゆえに機体の形状や機能に関する描写は他の機体と変わらないのに機体に関するフレーバーテキストは本文中にけっこうある、という状態になっている。なんとなくそのへんのフレーバーテキストの情報を拾いつつ拾わない感じで立体にできるといいな、と作る前に思った。そういうのはやりすぎるとかっこ悪いので、あくまで雰囲気程度にしたいと考えたわけである。ちなみにこのバンシーの前にフィアボルグとバーゲストは完成させていたので、やっぱり主役メカ3機は揃えたいという理由があったのは言わずもがな。

 

 というわけで例によって作る前に「こうなっているといいかな」というポイントをまとめたわけなんだけど、それは大体「遠目に見るとケープを被った人みたいに見えるシルエット」「なんとなく全体に西洋の甲冑っぽい雰囲気」「細いところは細く」「見るからに火力がありそうな感じ」「顔がない、不気味な機体」「ディテールは他の龍機兵同様アーロン・ベックっぽい感じ」くらい。ここまで明文化したわけではないけど、大体そういうニュアンスを満たせればいいかなと。

 

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 頭と胸部〜腰あたりまでを一番最初に作る。ここに太もものブロックをくっつけ、スネの長さで全体のボリュームを調整すると大外れにはならない……と思う。そう思っていたんですよこの時点では。

 

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 バンシー最大の特徴が背中の大型装備。背面には内径3㎜のポリキャップを埋め込んでおき、完成後も取り外しできるように。ここで作ったのはヘルファイアミサイル2本を取り付けた3号装備。ミサイルチューブは東急ハンズで買ってきたアクリルパイプだ。ヘルファイア自体は全長170㎝程度のミサイルなんだけど、後端にはミサイルの排気ノズルからの爆炎を散らすためのペレットが充塡されているという体でチューブ自体は長めに製作。特捜部のトレーラーにはこのミサイルチューブが数本積んであり、リロードの際には三号装備の両翼にあるハードポイントからチューブを取り外して装填されているものに取り替える……という感じを想定しております。

 

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 三号装備も本文では「蝶の羽根みたいな形」と書いてある。これを読んでハタと困ってしまった。長さ170㎝のミサイルが付いているのに形が蝶……。悩んだ末、真ん中にはミサイル照準用のレーダーが搭載されており、その左右に広がる形でハードポイント兼なんらかの電子装備を積んだブレードがついているという体裁でいくことにした。ちなみにこの羽根の部分はアメリカ海軍の無人機X-47の主翼をぶったぎって蝶の羽根っぽくくっつけなおしたものである。

 

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 というわけでなんとか人間の恰好にまで持っていったわけなんだけど、どうにもプロポーションがドン臭い。足が短くて胴体が長い。なんかダサい。パイロットのライザは「プロポーションがいい」とハッキリ書いてあるのにこれはいかん。ということで、急遽股関節の位置とスネから下の長さを調整することに。

 

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 こちらが調整後。これはけっこう工作が進んじゃった後の写真なので色々部品がくっついているけど、機体の高さはあんまり変えていないけど股関節の位置が高くなり脚が伸びたのがおわかりいただけるだろうか。ほんとはこんな恰好だと中に人間が入るのは無理そうだけど、まあこっちのほうがかっこいいのでこれでいいのである。

 

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 バンシー名物の飛び出す手槍は、プラの部品でやると絶対に折れるなと思ったので近所の金物屋で千枚通しをふたつ買ってきてこの先端部分を使うことに。で、千枚通しのグリップを分解したんだけど、千枚通しというのは非常に頑丈にできている。とにかく木製のグリップをノコギリで切ろうが金槌で叩こうがなかなか分解できず、最終的には使い古しのニッパーで金属の軸のまわりをバリバリと割り砕くような感じでようやく分解できた。二度とやりたくない作業である。

 

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 取り出した千枚通しの中身。一本につき1時間くらいかかった。

 

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 塗装前、ほぼ組み立てが終わったバンシー。実は全体のプロポーションと同時に肩の装甲の取り付け位置も調整している。それまでは首の左右に金属の軸を生やしてそこに肩装甲の根元を突き刺していたんだけど、なんか肩幅が狭くて貧相かつ窮屈な感じに見えるな〜と思い、いろんなところに着けたり外したりすることに。最終的には肩の後ろのあたりに90°に曲げた金属線を打ち込んで肩装甲の後ろから支える感じに。そうすることで肩の装甲自体が前方に向けて開いた感じになり、より体積があって強そうになった……気がする。上の方にある全体の写真とこの写真を見比べてもらうとけっこう肩まわりの印象が違うのがわかるのでは……。

 あと、頭の形状も最後まで迷ったけど、結局はヘルメットっぽく丸い形にまとめた。やっぱり曲面が多いと書いてある機体なので、一番目に付く部分が丸っこいというのは重要なんじゃないかと思った次第。実際この模型は本文に書いてあるほど曲面が多いわけではないかな〜という感じなので、頭くらいは丸っこいフォルムじゃないとアカンやろと思ったわけである。あと単純に形を削る前の頭はけっこうダサかったというのもある。これも上の方の写真と見比べてみると違いがわかるはず。

 

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 塗装。缶スプレーで一度真っ黒に塗ってからエアブラシで白を吹き付ける。なんせ黒いものを白く塗る必要があるので、隠蔽力が強いといわれているガイアノーツの塗料を使ったら本当に一発で白くなった。この時点で「バンシーじゃん!」とテンションが上がる。

 

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 細かいところを塗り分ける。もうこれで完成でよくない?という気持ちになる。なんせ大きいミサイルを背負っているので塗る手間が2体ぶんくらいある。割と途中でイヤになった。

 

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 「SIPD PD3」の文字は左肩に。なんせここくらいしか貼れる面積のある部分がない。

 

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 つづいて全体にコーションを貼る。これも貼る部分が2体ぶんある感じの作業だったので途中でウンザリするんだけど、これをやらないと全体の印象が締まらないんだから仕方ない。これらのコーションマークは特別意味があって貼っているのではなく「ここにはなんか文字っぽい情報がないとボンヤリするな〜」みたいな判断基準で貼っているので、おれの機甲兵装の模型にはガンダムセンチュリー的な気持ちはあってもガンダムセンチネル的な厳密さはない。やはりセンチネルはすごいのである。

 

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 ウォ〜〜ッと全体をウォッシングして完成。白なので汚れが目立ちまくる。思ったより汚れちゃったな〜〜と思いつつ、これくらいやんないと見栄えがしないヘッポコ模型なので仕方がない。

 

 というわけで駆け足だったけどバンシーが完成した。人間の恰好をしたものはちょっとでもプロポーションのバランスを間違えると途端にダサくなるので難しいっすね。でもとりあえずこれで龍機兵三機はできたので満足満足……と思っていたところ、これが完成したちょっと後に色々な人たちから「なんでキキモラを作らないんですか!?」と言われてキキモラをやり、さらに「キキモラあるのに他の悪役がないのはなあ……」ということでその他の悪役メカも作ることになったのだった。

おれは何を考えて機甲兵装の模型を作っていたのか フィアボルグ編

 先日コミケで機龍警察の本を売ってきた。おかげさまでいろんな方から内容を褒めていただき、大変ありがたい限りである。で、そこで「この模型ってどうやって作ったの?」と聞かれることが多かったので、照れくさいけどこれはこれで面白いかもしれないと思い、このエントリを書いているという次第である。なお、この文章は機龍警察読者以外は色々と置いてけぼりにする内容になっている。ごめんなさい。

 

 おれが機甲兵装の模型を作ろうと思った直接の動機は、それはもう機龍警察が面白かったからである。作中では重要なガジェットである機甲兵装だがあんまり文章から実態が掴みにくいところもあって、「小説からどれだけ情報を掴んで盛り込めるか」というトライアルがしてみたかったというのもある。なにぶん小説に出てくる挿絵がないメカの立体を作るのは初めてだったので、ちょっとした腕試し的な気分もあった。

 

 機龍警察に登場するメカを立体にする上でひとつのスジとして考えたのが「もしニール・ブロムカンプが機龍警察を映画にしたら」というものだった。ご多分に漏れずおれもブロムカンプ映画でメカデザインを務めたアーロン・ベックのデザインには殺られたクチである。アーロン・ベックのデザインの何がすごいって、まったく気負いが感じられないところだと思う。主役メカだから強そうにしようとか、雑魚だから弱そうにしようとか、メカごとにこういう個性をつけよう、という所作が一切読み取れない。「こういう機能のものだからこういう形になっただけで、作劇上の都合は特に考えてない」というような、一種の身もフタもなさが漂っている。洋ゲー系のデザインの文脈とも全く異なる、本当に最近の米軍の兵器が持っているのと同じ「それを言っちゃあおしまいよ」というような、即物的な手触りがある。かっこいい。

 

Aaron Beck

↑身もフタもないメカデザインの殿堂。何回見ても最高。

 

Art of Vitaly Bulgarov

ArtStation - Neo Japan 2202, Johnson Ting

↑このへんのメカのノリも参考にしました。当然ながらおれよりこの人たちの方がウン万倍も上手いけど。

 

 よく「ラフスケッチとか書かないの?」と聞かれるけど、おれはラフはほぼ書かないです。その代わりに「この模型はここがこうなっていないとイヤだな〜」という条件のようなものを考える。フィアボルグに関して言えば「猫背」「なんとなく不気味」「顔が判然としない」「ディテールは人間と全然違うけど遠目に見ると人間の格好に見える」「正義の味方っぽくない外見」というあたり。この条件がはっきりしていると、部品を選ぶのにも形状を出すのにもあんまり迷わない……ような気がする……。とにかく、そういう条件に沿った部品を探して貼り付けるのである。

 

 で、実作業。まず脚から作り、全体のボリューム感を見てみることに。スケールはフィギュアのインジェクションキットがたくさん出ている1/16に決定。

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 脛から先の白い部分は5㎜の角棒。タミヤの5㎜角棒がなくなったらおれは模型を作れない。

 

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 横のは1/16のフィギュア。「人間が大体この大きさかな〜」というのを見ながら作るために出てきてもらいました。

 

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 先に骨組みだけ作っちゃって、この時点で大体自立するバランスの当たりをつけておく。よほどのことがない限り、大体この時点のバランスのまんまで立ちます。

 

 

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 頭とかくっつけた後。このあたりで大体最終的な完成形が見えているようなそうでもないような……という感じ。まあ後からいくらでもつじつまは合うだろ……と思いながらやっていく。

 

 

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 機体の中にエポキシパテをガンガン突っ込んで固め、関節のシーリング部分などにもパテをくっつける。中身にパテが詰まるとなんだか模型自体もシャキッとして見える。

 

 

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 ほぼ組み立てが終わった状態。腰の後ろにあるのは劇中にも出てくるクソでかいナイフの鞘。こうして順を追って見ると、どこにどういう順番で部品がくっついていったかわか……らないですね。おれですら何を考えて作ったか、細かいところは忘れております……。正直このあたりの工程はかなり行ったり来たり、部品をつけたり外したりというのを繰り返しているので作っている人間ですらなんだかよくわからなかったりする。

 

 で、ここまで作って困ったのが塗装である。原作の小説には「ダークカーキ基調の都市迷彩」みたいなことが書いてあるが、そう言われても……という感じである。なんせそんな迷彩は見た事がない。ウンウン言いながら画像検索していたら、

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こういうコントローラーの画像があった。ダークカーキの都市迷彩ってこれなんじゃないのか!しかもこのコントローラーのグレー部分はイスラエルの戦車に塗られているのとほぼ同じ色に見える。ということで、配色に関してはこのコントローラーの色をそのまま流用することに。

 

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 全体に黒のスプレーを吹いて

 

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 カーキ色を筆塗り。で、

 

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 合板にマスキングテープをたくさん貼りつけて碁盤の目状にナイフで切れ目を入れて

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 たくさん貼って、その上からエアブラシで塗装。

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 2色めを塗ったらまたマスキングして

 

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 3色めも塗る。大変だった。

 

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 そんで細かいところを塗り分ける。背面のゾイドキャップがオレンジ色なのは龍骨外部接続用ハッチのフタだから……と思って塗っていた。

 

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 指の先端がオレンジな理由は、劇中では動いている機甲兵装の手足の先端が触れただけでも機動隊員がミンチになったりしていたので、警察の機体なんだからそんな危ない物は目立たせないとダメでしょ、というのと、このあたりに派手な色があってほしいというおれの願望のハイブリッドです。

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 これもものすごくやりたかった「PD1 SIPD」の表示。ウェーブのデカールです。

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 いろんなところにデカールを貼って耳なし芳一状態に。

 

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 そんで表面に軽く汚しを入れてツヤ消しのコートをかけて完成。

 

 以上、駆け足だったけど、作業自体はなんか5日くらいしかやっていないっぽいのでかなり手荒である。ひとまず猫背で何を考えているのかよくわからない、善玉っぽくない外見の機体というのはなんとなく達成できたと思うんですが、どうなんでしょうね実際。他の機体に関しても需要があったら書くので是非ご意見お寄せくださいませ。

コミックマーケット90で本を売ります

 夏のコミケ月村了衛の小説「機龍警察」シリーズに登場するメカ、機甲兵装の模型の本を売ります。日程は13日土曜日、スペースは東パ-10a(現在委託も予定しています)。全ページ4色、B5で本文48ページ。定価は1冊1000円。調子に乗ってキャプションを付けてたら、今までおれが作った模型の同人誌でも圧倒的に文字が多いものになってしまいました。

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↑表紙はこんな感じであります。

 

 内容的には、まずおれが考えた妄想機甲兵装発達史(1970年代〜現在)を、強風で模型をぶっ倒しながら撮った特撮と一緒にこんな感じで並べてあるパートがあります。

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 そんで、その後は無印から未亡旅団までの小説に登場した敵味方主要機体の解説を、模型を使ってチマチマとやっております。これも内容のほとんどが妄想ですので、怒らないで下さい。

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↑こんな感じです。

 

 そういうわけで、完全に機龍警察読者向けに振り切った内容となっております。ちなみにテキストは時勢も含めて「未亡旅団の一連の事件が終わった直後に民間の軍事系ライターが書いた文章」という体裁です(なんせおれが書いているのであんまり上手い文章ではないかもですが)。ハッキリ言って割と小説本編、特に戦闘場面のネタバレが含まれておりますので読む際はご注意いただければと。

 

 機甲兵装というそこそこニッチなネタ、しかも模型の本というぱっと見でいささか意味が通りづらい内容の本ではありますが、お手にとっていただければありがたい限りです。当日は何卒よろしくお願いします。

岡崎体育は許しがたいし、EXILEのPVは全然ありがちではない

 ここ数日、おれは岡崎体育について腹を立て続けている。きっかけは石野卓球のツイートで、特に名前は出さないまでも若手ミュージシャンについて苦言を呈している発言だった。「自己紹介でわざわざおれの名前を出すな、風評被害である」という発言で最初は誰の事だかわからなかったんだけど、2分ほどネットをうろついていたら「岡崎体育」というミュージシャンのことを指した発言だとわかった。

 

 どうやら岡崎体育という人は電気グルーヴのファンで、「卓球」を超えるべく、より包括的な概念である「体育」という名前を名乗っているという。その時点でおれは「えっダサい」とちょっと思ったのだが、今思えばそこでやめておけばよかった。勢いでつい、岡崎体育を検索してしまったのである。

 画像検索で目にした岡崎体育の見た目はおれのあまり好きではない人相であった。あまりにもスクールカースト下から二番目の人間が大学デビューでイキった感じそのまんまであった。キョロ充的でありすぎ、面白いことを言わなそうな感じでありすぎた。しかし、世間ではウケているという。邦楽のPVにありがちなことをまとめた映像が面白いという。きゃりーぱみゅぱみゅも褒めているという。おれも中田ヤスタカPerfumeは正直好きだ。食わず嫌いはよくない。おれは岡崎体育の「MUSIC VIDEO」を再生した。

 


岡崎体育 「MUSIC VIDEO」Music Video

 

 以下はそれを見てからの感想である。

 

 まず第一に、本当にこの人は電気が好きで、芸名にするほどの影響を受けているのか、と思った。ウソでしょこれは。

 おれも中学生の時に聞いた「ドリルキングアンソロジー」に衝撃を受け、その後同級生で映画好きサブカル男子のオクムラくんと一緒に教室のラジカセで電気のCDを並んで聞いていた(そして途中でヤンキーによく邪魔をされた)人間である。しかもおれは1987年生まれで岡崎体育は1989年生まれ。ぶっちゃけこの年代は電気のオールナイトニッポンとかには全然間に合っておらず、小学生のころにポンキッキーズ鈴木蘭々ピエール瀧を見るのが関の山だったはずだ。そういう、ド正面から電気の最盛期を見られなかったであろう同じ年代の人間として言わせてもらうが、岡崎体育の「MUSIC VIDEO」のどこに電気の影響があるのかさっぱりわからなかった。

 

 電気グルーヴの凄みは楽曲のクオリティとクソみたいな悪ふざけの両立にある。トラックはあくまでかっこよく、歌詞はえも言われぬ韻を踏んでおり、ねっちょりした卓球の歌声は耳に残り、そしてPVやアートワークやツアータイトルは死ぬほどくだらない。電気はひどい悪ふざけだけのバンド(あえてバンドと呼ぶ)ではなく、格好をつけるところと死ぬほど悪ふざけをするところの緩急を最大限につけることで格好を付けるバンドなのだ。かっこいいところがちゃんとかっこいいからこそ、ドン引きするような悪ふざけが一層光り輝くのである。「下痢便発電所異常なし '83」なんて最悪のツアータイトルをつけてもツアーが成立するのは、その時点で最新のテクノの文法に則った分厚いトラックが聞けるからこそなのだ。

 

 しかし、岡崎体育の「MUSIC VIDEO」に関して言えば、そういった美学は全く感じられなかった。とにかくノリが寒い。「最近の邦楽のPVにありがちなことwwwwww」的な、クソまとめサイトのクソエントリっぽいノリのそのままの内容を、そのまま視聴者に消費させるだけでなんの深みも面白みもない。そしてなにより「お前は電気から何を学んだんだよ!」と言いたくなるのが「歌詞でもPVでもふざけている」という点である。

 電気のPVやトラックで重要なのは、悪ふざけをするのは全体の2/3あたりまでであるという点だ。かっこいい曲には全然関係のないクソみたいな(しかし手間は異常にかかっている)映像を添えるなど、外すのはどこか片側だけであり、もう片方でキッチリ締めるべきポイントは締めていた。しかし岡崎体育の「MUSIC VIDEO」では最近の邦楽にありがちなことを揶揄した歌詞をそのまんまの映像にしてそのまんま同じタイミングで被せており、正直いって「お前どんだけそのまんまなんだよ!」という他ない。あのつまらなそうな人相の岡崎体育に全力で「オモロいやろ!」と言われても、少なくともおれは「全力だなあ」としか思わなかった。楽曲もPVも結局どちらもわかりやすくも中途半端であり、端的に言ってダサい。

 

 そして、「最近の邦楽のPV」には本当にこの岡崎体育の「MUSIC VIDEO」で言われているようなことが起きているのであろうか。確かにマンネリ気味の演出はあるのかもしれない。だがしかし、そういう映像だけでもないはずだ、と思う。

 

 例えば、恐らく現在の邦楽のど真ん中であろうEXILEである。実のところ貧乏所帯ばかりの日本の映像業界において、EXILEは最も金をジャブジャブ突っ込んで派手な映像を製作できる集団のひとつになっており、彼らのPVは楽曲と映像の内容が全く関係ないにも関わらず「金がジャブジャブぶち込まれている」という一点だけでおれの目を引きつけてやまない(おれは金がかかった映像をボンヤリ見るのが大好きなのだ)。この現在において邦楽の代表格であるはずのEXILEのPVはすでに岡崎体育の言う「邦楽のPVにありがちなこと」の枠から大きくはみ出しているではないか!岡崎体育EXILEに土下座しろ!!とおれは思う。

 

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 例えばこのEXILEミーツ西部警察のゴキゲンすぎる一作。ゴージャスかつトリガーハッピーなエグザイルポリスの有無を言わせない説得力。ありがちな「ラブソングのPV」の枠を銃弾の嵐で破壊した怪作である。

 

 

 

 

www.youtube.com

 日本版マッドマックスフューリーロードとも言える、おれの大好きな作品がこちら。荒廃した世界に'80年代風の肩パットをつけたEXILEが降臨すればガキも老人も皆ハッピー。しかもこの衣装でChoo Choo TRAINのあのグルグル回る振り付けもちゃんとやってくれる。文句のつけようがないではないか。ちなみにこのPVはフルバージョンがマジで最高なので是非なんとかしてどこかで見てみてほしい。

 

 

 

 

www.youtube.com

 こちらはクーデターが起こせるのではないかというほどの人数を集めた群舞が底抜けに能天気な一本。「とりあえずこれだけEXILE感のある老若男女を集めてみました!!」というだけの映像はまるでインド映画とよさこい悪魔合体。本当にそれ以上の意味がほとんど無いところが大変に潔い。

 

 

 

 

 以上、おれが面白いと思っているEXILEのPVをとりあえず3つ並べてみた。雑な反証ではあるが岡崎体育の言ってる事はしょっぱくてEXILEはすごい、ということがおわかりいただけただろうか。制作費がどうのこうのという点ももちろんあるだろうが、現在の邦楽において間違いなくトップクラスに稼いでいるであろうEXILEがこれだけ変な映像を垂れ流している以上、「邦楽のPVでありがちなことwwwwwww」みたいなネタでゲラゲラ笑うのがどれだけ下劣でものを知らない行為か、想像していただきたい。そういう、まるで調子に乗った世間知らずの大学2年生みたいなバイブスを感じさせ、増幅させる安直で考えの足りない岡崎体育が、やはりおれは大嫌いなのである。

最も豪華な後出しジャンケン 『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』

 いきなりステーキというステーキ屋をご存知だろうか。

 

 その名の通り、立ち食いでいきなりステーキが出てきて、ガツガツ食ってさっと出る、というような、とにかくいきなり肉が食いたくなってしまった人がピットインする感じのステーキ屋である。本当にいきなりステーキが出てきたので初めて行った時にはビックリしたけど、これはこれで楽しかったのでおれはたまに行く。

 映画『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』(以下『BvS』)はこのいきなりステーキのような映画だった。美味そうなんだけど、ものすごく分厚くてどこから食っていいのかよくわからない肉の塊が鉄板の上に乗っかって音を立てていて、それをいきなり「ほらステーキが食いたかったんだろ。食えよ。食えるだろ?」と突き出されているような、そんな映画である。

 


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 スーパーヒーロー系のコミック出版社としては超がつく老舗のDCコミックスだが、モダンなスーパーヒーロー映画のストリームを生み出す手腕に関してはライバルのマーベルの方が一歩先を行っていた感がある。クリストファー・リーブのスーパーマンティム・バートンバットマンもあったけど、マーベルが打ち出した「複数タイトルのスーパーヒーロー映画が複雑に絡み合い、数年に一度それらヒーローが大集合する映画もまた別途作る」というMCUマーベル・シネマティック・ユニバース)映画のスタイルはまさにオタク長年の夢のような形式だった。膨大な予算と時間をかけて、マーベルはアヴェンジャーズを中心にしたスーパーヒーローたちの巨大なクロニクルを映画で作り挙げようとしている。それは要するに、アメリカンコミックの持つ構造をそのまま映画各タイトルで組み立て直す試みだったと思う。思えばブライアン・シンガーの『X-メン』から15年あまり、マーベルの試行錯誤は今大きく実ったのである。おめでとうマーベルコミックス

 

 対して同時期にDCの打ち出した映画は、個人的には特に嬉しくなかった。ノーランがあんまり好きじゃない(だってアクション撮るの壊滅的に下手だし、アイツ撮影現場にスーツ着てくるんでしょ……なんて嫌味な奴なんだ……)というのもあったんだけど、やたらとテーマが重く画面が暗くバットマンの声が聞き取りにくく妙に鬱々としたバットマン映画3本を見せられて「いや〜、これを大人向けって言っちゃうセンスって20年ちょっと前に死んだんじゃないの……?」と思っていた。『ダークナイト』もそりゃ面白かったけど、正直「持ち上げすぎじゃね?」とも思っていたのである。フィギュアやオモチャもあんまり魅力的なものが出なかったし。関係ないが昔から割とDCはオモチャに弱いところがあると思う。

 

 しかし『マン・オブ・スティール』はドラゴンボールみたいな戦闘シーンや、ことあるごとに出てくるラッセル・クロウが思いの外面白かった(ちょっとクラーク・ケントが悩みすぎでは……とは思った)ので、「バットマンがあの新スーパーマンと戦うのか〜〜勝ち目ないでしょ〜〜」という感じでおれはうすらボンヤリと『BvS』を楽しみにしていたのである。

 

 で、『BvS』である。結論から言えば想像していたよりも面白かった。個々のヒーローに対する解釈はまあいい。特にバットマンはこの解釈だと揉めそうだな〜〜と思って見ていたけど、まあこれもいいだろう。おれが驚いたのは、とにかくこの映画がガンガン説明を省いていくスタイルだった点だ。

 アメコミ映画で問題になるのが「なにをどこまで説明するか」である。バットマンが昼は大企業のトップであるブルース・ウェインで、子供の頃にチンピラヤクザに目の前で両親を殺されて犯罪への復讐を誓い、ケイブの奥で無数のコウモリとなんやかんやあって冷酷無比なクライムファイターになった、というのはアメコミを読む人間ならまあ皆大体知っている。しかしアメコミ映画を見る人間はアメコミオタクだけではない。特に日本ではそうだろう。そこで浮上するのが「知っている人間には常識だが知らない人間には全然わからないディテールをどうやって解説するか」という問題なわけである。バットマンが映画になるたびに可愛そうなウェイン夫妻は惨殺されなくてはならないし、理系のオタク少年だったピーター・パーカーは毎回すごい蜘蛛に噛まれなくてはならないのだ。

 

 で、今回の『BvS』がその問題にどう対処したかというと、それらを大体全部省いたのである。バットマンのオリジンは冒頭、タイトルが出るまでの間にざ〜っと簡単に説明されたものの、それ以外のヒーロー(それ以外の連中がまたけっこうゴロゴロ出てくるのだが)はどこの誰なのか全く説明がないままに「すでにそこにいた」という形で放り出され、ワンダーウーマンがなぜ投げ縄を投げたのかは愚か、彼女は一体何者なのかということすら"なんとなくこの人は善玉なんだろうな……"とわかる程度にしか説明されない。同様に悪役レックス・ルーサーが策略を用いてスーパーマンをつけ狙う理由も放りっぱなし。強いて言うなら「コイツはレックス・ルーサーだからスーパーマンを狙ってるのかな……」という程度しかわからない。「お前らどうせこれくらいわかってんだろ!次行くぞ次!ついてこれる奴はついてこい!!」とばかりに怒濤のハイカロリーバトルが次々と観客席に流し込まれ、気がついたらジャスティスが誕生していたのである。

 

 思えばMCU作品はなんと親切だったのだろうか。洗練されたストーリーテリングのおかげですでに知っているスーパーヒーローたちのオリジンも素直に楽しく見られたし、ちゃんと順序を追って話を盛り上げ、着地してほしいタイミングでストーリーが着地した。しかし今度こそシリーズ化されるであろうDCコミックス映画は違う。観客を引きずり回し、ふるいにかけ、やりたい放題の大暴れである。しかし赤いマントをはためかせながら降臨するスーパーマンや、逆光の中に窓をぶち破って登場するバットマンの絵面は圧倒的に神々しく、まさに「えっそこ飛ばすの!?」「あっでもかっこいい……」という神話的ダイナミズムに満ちている。まさにいきなりステーキ、それもクソデカい肉の塊がそのままゴロリと登場した感じである。確かにステーキはうまい。うまいんだけど、いきなりすぎて半分くらい味がわからない。

 

 DCからすれば、後出しでマーベルと全く同じアプローチをとることができないのは当然だろう。なんせ連作のスーパーヒーロー映画という形のビジネスではマーベルの方が何歩もリードしている。向こうが「スーパーヒーローの映画」として真っ当なものを出しているなら、こちらは「映画媒体でアメコミの構造自体の再現を試みる」という手法で行こう、と思ったかどうかは知らないが、できあがった映画はまさにアメコミ独特のあの不親切さ(コミックでは一々各ヒーローのオリジンなんか説明してくれない)と神々しさが同居した巨大な肉塊だったのである。ある程度構造ができあがっている現時点からDC映画のこの構造をMCUが逆に真似することは不可能だ。滅茶苦茶ダイナミックな後出しジャンケンではないか!

 

 というわけで、とりあえずジャスティスは誕生した。続きはどうなるのかわかったようなわからないような感じだが、個人的にはこれまでのDCコミックス系映画に比べて圧倒的に今後が楽しみである。あとは出来のいいオモチャがドンドン発売されるように願うだけ。おれは今心の底から「頼むからDCもこの映画版のコスチュームでマトモな3.75インチフィギュアを発売してほしい」と思っている。