Everything's Gone Green

感想などです

なぜ我々はプラモデルの部品をべちょべちょ貼った模型を作ってしまうのか

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↑このエントリを読みまして。ま〜すごいですね。バンダイ。ファルコン号。と思っていたわけなのですが、これに対するリアクションとして「スターウォーズのプロップってプラモデルをベタベタ貼ってできていたの?」「なんでプラモデルを貼ってるの?」というリアクションがちょいちょい見られまして、「そういえばなんでプラモデルの部品をベタベタ貼ってるんだろう」というのを考えてしまいました。

 

スターウォーズのメカは、要素を分解していくと非常に簡単な形でできています。「円盤に三角形の板が二枚くっついてる」とか「六角形の板の真ん中に球体がくっついてる」とか「長い六角柱の胴体に台形の羽根が4つついてる」とか、基本的には単純な幾何学的形状を2つないし3つ組み合わせただけの形です(もちろん例外はあります)。特に初期から登場している主役級のメカになればなるほど単純な形の組み合わせになっておりまして、これはスターウォーズのメカデザインの大きな特徴です。この単純さのおかげで5歳児でも敵味方が識別でき、一回見たら忘れられないほど"強い”デザインになっているのです。

 

こういう単純な図形の組み合わせでできているものが、実は近くに寄って見ると現実的なメカっぽいディテールの集積になっている。そういう、二度美味しいというか、本当っぽい嘘をつくためのギミックが前述の「プラモデルの部品をベタベタ貼る」という行為です。ここで重要なのは、スターウォーズのプロップに貼ってあるプラモデルはほとんどがスケールモデルであるという点です。

 

1977年以前、キャラクターモデルはプラモデルにおいてほんの傍流だったという事情ももちろんあるんでしょうが、もうひとつ理由として大きいのは「実在するメカの部品」であるという点だと思います。なんせ前述のようにスターウォーズのメカは実在しない極めて単純なフォルムでできているので、その時点でひとつ大きな嘘をついていることになります。その上に嘘を重ねると、これは本当に嘘っぽいメカになってしまう。であるならば、細部の装飾には実在する機械の部品を用いることで、200%の嘘を150%くらいまで割り引いて、なんとかリアルっぽい感じに着地できやしないか。ついでに時間的金銭的なコストもケチれないか。そういう、「我々はどういうものを見ると『リアルだ』と感じるか」という、根本的な仕組みの部分をハックした方法をとったのではないかと思うのです。

 

おれは自分でもいろんなプラモデルの部品をベタベタ貼った模型を作るのですが、割とこの推論に近いことを考えてやっております。自分の模型のネタばらしをするのはアレなんですけど、一番手近な事例としてこないだツイッターに貼ったらややウケしたフレームアームズガールを改造したやつを引き合いに出して、スケールモデルの部品を随所に貼り付けるとどういういいことがあるのか、見てみようと思います。ちなみに1.7mのファルコン号なんて代物よりずっと小さい模型なので、部品の使い方もみみっちいです。ご了承ください。

 

 

↑これね。

 

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まず鉄砲なんだけど、これは趣味の問題でM4(実在する銃です)の上になんか色々くっつけてます。これも色々設定を考えたんだけど割愛。こういう模型に火器を取り付ける場合、実在するものにするのか、ビームライフル的なものにしちゃうのかはその模型のリアリティラインを非常に大きく左右すると思います。

 

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両肩のシュルツェンみたいなのはメルカバのサイドスカート。こういう装甲材みたいな部品は、形状もさることながら厚みでもいろいろ表現できるところがあるんですが、実在する機械の部品はその辺やっぱり生々しい。

 

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シュルツェンの裏。なんか戦車の部品とかいろいろ。キャラクターモデルの部品も使ってますが、可動部の基部みたいなキモになるところを実在する機械類の部品にすると印象が締まるのです。

 

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実在する機械のパーツで偉いのがその細さです。特にこういうダンパーとかフレームとか、棒状の部品の細さとディテールの入り込み方は、どうしてもキャラクターモデルの部品では置き換えが効かない。キャラクターモデルの部品で本物っぽい油圧のシリンダーみたいな部品は、おれは見たことがないです。なので、フレームアームズガールの胴体の下の部分はスケールモデルの部品をバラバラに切って取り付けています。

 

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膝頭の部分についているのとかもなんか戦車の転輪か何かです。こういう出っ張ってて目を引くところに現実的な部品がついてると「オッ実在性!」ってなる……ような気がする……。

 

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これはフォルムだけがほぼ完成していて、まだディテールを足す前の状態。キャラクターモデルの部品だけだと色々と味が薄いのがわかると思います。

 

というわけで「実在する機械の部品」には、それでしか出せないムードみたいなものがあるのです。ファルコン号もおれのフレームアームズガールも全体のフォルムの時点で大嘘をついているので、そこからなるべく嘘の総量を間引かなくてはリアルっぽく見えない(逆に言うと実在性とかを特に志向しないのであればこういう工作は必要ない)。そんな時に一番手っ取り早くて安上がりなのが、手近なスケールモデルの部品をバシバシくっつけていくことなのです。最近は逆に「フォルムは本当っぽいんだけど、ディテールで大嘘をついている模型」というのは作れないもんかなーなどと考えております。

 

 

 

では最後に、おれが一番好きなファルコン号の立体物をお見せします。ガルーブのマイクロマシーン版ファルコンです。

 

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全長が40㎝ほどあり、バンダイ1/72並みとはいかないまでも、でかい。

 

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まるでアメリカのハンバーガーのような、史上最も分厚いファルコン。

 

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ここを立てて……

 

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開きにできます。大雑把だな〜。

 

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内部構造とかガン無視で、中はルークが目隠ししてライトセーバーの練習したりC-3POとチューバッカがホロチェスをやってたあのリビングみたいな空間になってます。メカ部分は全部シール。後ろについてる変なツマミのついた板の部分は外れて、中に小物を入れられます。ファルコンといったら外れる床板(薄い)だからな。

 

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コクピットにちゃんと椅子が4つあるのも嬉しいじゃあありませんか。

 

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こっちはなんかビークルの整備工場っぽい遊びができるようになってて、同じマイクロマシーンのオモチャをくっつけてグルグル回せます。整備工場ってより回転寿司みたいだけど。

 

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後ろからはハンドルが引き出せるので、ファルコンをぶら下げて友達の家に遊びにいったりできます。やったね。

 

このファルコン号、胴体をガバッと開いたら内部構造が再現されているのではなく、映画で見たあの部屋がドーン!と入っているのがなんだか凄く好きです。後から色々設定は足されましたけど、我々が「新たなる希望」で見たファルコンの内部って、あの部屋と、コクピットと、床板外して隠れてたあの廊下と、あの銃座くらい。その印象に忠実に立体化して、基地玩具としての機能を持たせたらそりゃこうなるよ、という納得感が猛烈にあります。

 

バンダイの1/72がプロップを完全再現した、いわば三次元的に最高精度のファルコン号の模型だとしたら、このガルーブのファルコンは「新たなる希望」を見た我々の脳内や劇中の時間軸で構成されていたファルコン号の姿を形取った、いわば四次元的なファルコン号の模型と言えるのではないでしょうか。ていうかこの場合、バンダイ版とガルーブ版、どちらが正確と言えるのでしょうか。おれには「ガルーブ版のおもちゃが不正確」とは言い切れません。そもそも模型とはなんなのでしょうか。よくわからなくなってきました……。

https://twitter.com/gerusea/status/902488268863791104

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ハイローランドに行ってきました

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現在よみうりランドで開催中の「HiGH&LOW THE LAND」と「HiGH&LOW THE MUSEUM」(以下両方まとめてハイローランド)に行ってきました。

 

おれはハイロー大好きなわけですが、周囲のオタクに似たような嗜好の奴がいなかったので、妹&妹の友達のオタク女子に同行させてもらう形に。当日は死ぬほど快晴。うっかり京王線ではなく小田急の方の「よみうりランド前」駅から降りちゃったので、バスで現場まで行くという冴えない移動になりました。

 

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噂に聞いてはいたのですが、ハイローランド、とにかく全体のディレクションが猛烈にしっかりしている上にそれを支えるためのロジスティックスが非常に緻密で、現場ではデザインとそれを支える兵站について考えてしまいました。

 

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現場はステージがあったり飲み食いできたりする「THE LAND」と、ハイロー劇中の雰囲気を再現した室内で衣装や小道具の展示を見られる「THE MUSEUM」に分かれています。これはミュージアム側の入り口付近。

 

知らない人が見るとFalloutみたいなガラクタの山なんですが、「THE MOVIE」のコンテナだらけのセットのイメージを軸に、なんとなくハイロー感のあるデコレーションがされておりまして、とりあえずミュージアムに入る前だけでオタク大興奮。この入り口付近には「でかい旗を振る」という仕事の人が立って炎天下で淡々と旗を振り回しており感動しました。

 

要はこれプレハブやコンテナのまわりにスノコやら工事用の足場やらドラム缶やら古タイヤやら……という雑多なガラクタをくっつけてるだけなんだけど、色味の選び方やウェザリングの的確さによって全体に統一感が出ています。各アイテムをそのまま積み重ねたら産廃の集積場にしか見えないはずなんだけど、完成後にどうなるかをちゃんと計画して各要素を配置して塗装しているので、ちゃんとハイロー的な風景に見える。

 

 

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これも一見するとゴミの山なんだけど、鬼邪高校の展示の一部。右下の方に写っている下駄箱かなんかの扉が、殴られたか蹴られたかして折れ曲がってるじゃないですか。これを見たときにおれは感動しました。この展示をプランニングした奴は「鬼邪高にあるロッカー類の扉は全てベコベコにされている」という想定が見えており、単に下駄箱の扉が取れているのを表現するだけではなく、一旦ヘシ折って展示スペースに配置している!解釈の解像度が高い!

 

 

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キング村山って自分で書いてしまう村山。キャストの山田裕貴さんのサインなんですけど、村山というキャラへの解釈がやはりちゃんとしている。自分でキングって書くような奴です、村山。

 

 

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村山と関と古屋が身長を比べているという写真です。迸る男子高校生感。

 

 

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ITOKAN店内のいたるところに貼ってあるポスターやらチラシ類やらも、なんかいちいち作り起こしっぽいんですよね……。壁に書いてある文字だって版下が必要だろうし、一体どれだけの人数のデザイナーを動員したのだろう。さらに言えばデザイナーの人数がたくさんいればいいというわけではなくて、それら膨大な出力物を統合して解釈にズレが発生しないようディレクションし、会場にいい感じに配置する必要があるわけで、その手間を考えると本当に気が遠くなります。

 

 

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圧巻だったのがこのTHE LANDの方のステージ。山王街というのは東京の東側にありそうな、下町っぽい商店街という設定なので、まず正面の看板は「○○銀座」的な鄙びたテイストに。それがくっついているトラス状のフレームはおそらく鉄道の跨線橋をイメージしたものでしょう。ハイローでは跨線橋は主要登場人物であるコブラ・ヤマト・ノボルの少年時代を象徴する重要なロケーションです。この跨線橋には濃いめに錆びを描き込むことでリアルさと山王街の年季の入り具合を表現。さらにその周辺に提灯を配置することで、「山王街の夏祭り」というデザインコンセプトをどんなバカが見ても一発で伝達することに成功しております。

 

その背後にはグラフィティが施された商店街の壁面が。これによって山王街が治安の悪い、不良たちの溜まり場であることが表現されています。レンガ作りの壁面にグラフィティという取り合わせはどちらかというとアメリカ東海岸、70年代以前のブルックリンなどのすこし古めな雰囲気がありますが、これは山王連合会のデザインコンセプトがアメリカのバイカーギャングのスタイルを明確に意識しているのとリンクしています。現代的な西海岸の不良ではなく、もうちょっとトラッドでクラシカルな雰囲気でまとまっている山王連合会。そんな彼らの根城である山王街の建物は、コンクリ造りではデザイン的に馴染みません。そんな山王街と山王連合会のディテールやデザイン性を、ステージ奥の壁一発で表現しているわけです。すごい。

 

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ステージ脇にはドラム缶やらホイールやら電柱にくっついてる機械やらが置かれたシャッターが。このシャッターにもグラフィティが描かれているのですが、その上に貸店舗の看板!そして貸店舗の看板にも執拗なウェザリングが!おれがハイローランドで一番感動したのはここでした。「不良がたくさんいる山王街だからそれっぽいグラフィティを描こう」というところまでは誰でも思いつくかもしれない。けれどさらにその上に「寂れた日本の商店街らしい要素をもうひとつ盛ろう」という発想は、ハイロー世界のことを見てきたように想像できるディレクターがいないと成り立ちません。そしてその貸店舗の看板を作る際の書体や色の選び方。完璧な仕事。それなのにステージの脇からちょっと離れた、気がつかない人はそのままスルーしそうな位置に貼ってある。ゾクゾクします。

 

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この配電盤とかも、横に立ってるプレハブの土産物売り場の壁なんですよ。ぶっちゃけこれがあってもなくても誰も気にしないと思う。でもこういうディテールを入れる。入れないと山王街っぽくならない、ハイローっぽくならないとジャッジした人間がいる。「架空の世界を再現する」ということに対するこの執拗で的確な仕事ぶり、なかなかすごいことだと思いませんか……。

 

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ハイローランドにたどり着くまでの順路に立っている塀。「祭り」ということで達磨一家をイメージした朱色っぽい赤が塗ってあるのですが、よく見るとフォークリフト用のパレットを立てただけ。それなのにどこか和風っぽいテイストすら感じられるし、全然貧乏くさく見えない。これを企画し立案し実行するというのは一体どういうことなのか。途中からよみうりランドでウンウン考えることになってしまいました。

 

 

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「HiGH&LOW」を展開しているLDHは何事に対してもジャブジャブとお金を使える、その予算規模がすごいと前から言われています。それはその通りだとおれも思います。しかし、ハイローランドに行ってみて、LDHにとって「予算がある」というのは単なる前提にすぎないということがひしひしとわかりました。

 

LDHの真の強みは金を持っていることではなく、ブレのないディレクションによってコンテンツに関係するあらゆるものを立案しデザインできること、そしてそれを実行するためのロジスティックスを用意できることです。お金はそのために必要なものですが、お金だけがあってもハイローランドは完成しません。コンテンツ自体を深く理解し、それをあらゆる客に対してどうやったら伝達できるかをデザインできる人間。そしてそういう人間に仕事をさせることを決断できる人間。予算というのはそういった人間たちに持たせて初めて威力を発揮する武器です。

 

LDHは単に金満でゴージャスなわけではなく、明確な意図を持ってディレクションをできる人間にちゃんと予算をつけることのできる集団であるというのは、もうちょっと意識されてもいいことなのではないでしょうか。というかハイローランドのディレクターをやった人に、今ものすごくお話を聞いてみたいと思っています。

ワイスピをスカイミッションまで連続で見た

「車に興味がない」という理由で今までワイスピを避けてたんだけど、アイスブレイクも公開されたし食わず嫌いもよくないなと思い、初代から7作目のスカイミッションまで、ちょいちょい休みを挟みつつ全部見た。

 

初代ワイスピを改めて見た時、正直めっちゃびっくりした。なんというか、おれがなんとなくイメージしていたワイスピは「頭があまりよろしくない上にどちらかといえば所得の低い人にもわかるようチューンされた、高級スポーツカーを使った悪ふざけ」というものだったんだけど、初代ワイスピはなんとストリートレースを軸にした潜入捜査ものだったのである。カーアクションも「でかいトレーラーの周りを車でぐるぐる回りながら銛を発射する」「ドアからぶら下がる」くらい。しかも終わり方も煮え切らない。少なくとも全然陽気な感じのラストじゃない。なんせ主人公の潜入捜査官ブライアンくんが捜査に失敗して警察をクビになって終わるのである。なんだこれと思った。

 

で、初代ワイスピが予想よりずっと地味で華がない映画だったので、逆にどうやったら「潜水艦が氷河をブチ破って飛び出し、ドウェイン・ジョンソンが魚雷を押し返す」という状況になるのか興味が出てきてしまったので全部見たわけである。

 

2作目は、もうこれはマイアミバイスのパロディだなとすぐわかった(ちなみに初代はハートブルーだよと教えてもらって後から合点がいった)。初代に続いて潜入捜査ものだったし。3作目は珍品ながら、まあ車を使ったベストキッドみたいなもんでしょう。日本の学校文化って外国から見るとああいう感じなのかと面白かったし、あとアメリカ人はあんまりドリフトに興味がないんだなというのもわかった。

 

問題は4本目の「ワイルド・スピード MAX」以降である。これまでの3作は、正直軸がブレブレだ。ここで「やっぱヴィン・ディーゼル出しとかねえとダメだわ」という点にみんな気がついたのであろう。ドムはやはりガンダムSEEDでいうキラ・ヤマトなのである。名前はドムだけど。シリーズ全体を支える大黒柱として、このMAXでヴィン・ディーゼルは再浮上を果たす。

 

MAXはシリーズにとって過渡期の映画だと思う。初期のちょっと真面目な雰囲気を残しつつ、カーアクション自体は飛躍的にハデになり、そしてその後のワイスピにとって重要な要素である「ファミリー」概念が前面に出始めている。

 

ワイスピにおける「ファミリー」概念は、平たくいっちゃうと「地元のツレ」の濃いめのやつである。つまりいつメンでありズッ友である。MAXでこの「ファミリー」概念が発掘されてしまい、そしてそれが案外ウケたのだろう。MEGA MAX以降のワイスピはいつものメンバーの人間関係が更新されたりひっくり返ったりしつつ、カーアクションのクソバカ加減だけがどんどんインフレするという方向に進化している。いつメンがズッ友のまま世界規模で大暴れするのがMEGA MAX以降のワイスピなのだ。

 

この「ファミリー」の概念、なんつっても日本人にもわかりやすい。「ファミリー」概念的なものはマイルドヤンキーやワンピースや湘南乃風や地方のショッピングモールのフードコートといった形で身の回りにたくさんある。しかし、ワイスピはその概念をめちゃくちゃ過剰に押し出しつつストーリーを先鋭化させた結果、ある種の詩情を感じさせるところまで到達している。例えばユーロミッションの、めちゃくちゃバカっぽい経緯で記憶を失ったレティと、その恋人であったドムがレースをすることで対話するシーン。あのレースのシーンはワイスピ史上最も美しいストリートレースである(そもそもMAX以降あんまりストリートレースやってないけど)。正直ベッタベタの展開ではあるのだが、おれはあそこで素直に感動してしまった。

 

また、その「ファミリー」概念の蓄積が最も物を言ったのはスカイミッションのラストだと思う。シリーズを一応全部見て、さらにポール・ウォーカーに何が起こったか知った上で、いつもの書体で「FOR PAUL」と画面に浮かび上がった時のエモさは凄まじい。あれはまさにいままでファミリーファミリーと事あるごとにしつこく言い続け、ドムの家の庭で肉を焼き続けてきたからこそ可能になった演出である。

 

おれの実家は岐阜県であり田舎でありヤンキー地帯だったので、こういう「ファミリー」的概念はあんまり好きじゃなかったし今でも苦手といえば苦手なんですが、ここまで徹底して「俺たちは家族だ」って毎回言われ、しかもそこをキーにして泣かしにかかられると「ちょっとわかる……」となってしまう。心の岐阜県民の部分が一定の理解を示しているのだ。少なくともなんでこのシリーズが毎回めちゃくちゃ稼いでいるのかの一端は理解できた。世の中、田舎者の方がずっと人数多いからね。そりゃお客さんも入りますわ。しかも作品ごとにアクションシーンは過剰になっているわけで、そりゃもうウケない要素がない。

 

というわけでスカイミッションまで見たので明日あたりアイスブレイクも見てこようと思います。めちゃくちゃ楽しみ。

4/8に見た映画

レゴ バットマン ザ・ムービー

ド傑作。ぶっちゃけ泣きながら見ました。

 

スーパーヒーローというのは必然的に孤独な存在である。なんせその他大勢と同質のヒーローが出てきてしまっては、それで完成するのはスーパーヒーロー映画ではなく戦争映画になってしまう。だからバットマンは必然的に孤独だ。家族を強盗に殺されているから新しく家族を作ることに対して臆病だし、ブルース・ウェインという正体を知られるわけにはいかない。

 

スーパーヒーローはそういう存在なので、必然的に同質のスーパーヒーロー同士でつるむことになる。ジャスティスリーグアベンジャーズや、とにかくそういう連中だ。『レゴ バットマン』のバットマンがすごいのは、そういうスーパーヒーロー同士の連帯からもその気難しさが原因で排除されている点だ。バットマンは誰とも連帯できず、家族もいない。唯一彼のために気を揉んでいるのは執事のアルフレッドくらい。

 

そんな彼との連帯を望む存在として現れるのがジョーカーだ。アメコミほど「悪とはなにか」ということについて継続的にアップデートが繰り返されてきたジャンルも珍しい。なんせ悪がいなくては正義は成り立たない。住人全員が善人のゴッサムにはバットマンは不要だ。だから『レゴ バットマン』ではジョーカーはバットマンに対して「お前はおれにとって特別な存在だ。お前にとってのおれもそうだろう?」と質問する。が、バットマンは「いや、別にそんなことないし、そこまでお前のことを考えたこともないわ」とジョーカーとの関係を否定する。バットマンは他人と継続的な関係を築くことに恐怖しているからである。そういう意味で、「レゴ バットマン」のバットマンバットマン映画史上最も扱いにくく、純度の高いバットマンである。なんせ彼はサイドキックの存在すら認めないし、連帯しようとした新警察署長バーバラ・ゴードンすらはねつけ、バットケイブに立てこもる。

 

この「レゴ バットマン ザ・ムービー」は、バットマン最大の敵である"自らの孤独"に対し、バットマンたちが如何にして戦いを挑むかという映画だ。実際どうやって立ち向かったかは書かないけど、途中の流れはもう涙無くしては見られない。もちろんレゴ ムービーらしい楽屋オチやメタネタのパロディやワーナーの懐の深さをうかがい知れる悪役陣などオタク大喜びのギャグも満載だけど、全体には上記のテーマが通底しているので、人付き合いが嫌いなオタク(おれ含む)なら刺さる内容であることは間違いない。ド傑作でした。

 

ハードコア

全編主観視点の映画があったらすごくねえ!?という、CoDとかHALOとかをプレイしすぎて頭が悪くなったオタクの一発芸みたいな映画。だが90分もある。

 

日本において主観視点の映像といえば上記のようなFPSゲームとある種のアダルトビデオ(なんかこう、風俗店のプレイを模してるやつとか女優さんがたくさん出てくるやつとか、「ひょっとしたらおれもこういう体験ができそう」もしくは「死ぬまでに一回くらいはこういう目に遭ってみたい」という内容のものが多いですね)なわけですが、この映画もその2ジャンルにすっぽりそのまま当てはまる内容。つまり、動いて暴れて銃をぶっ放して人間を殺すか、R15で上映できるくらいのエロい目に遭うかという、動物かよという感じの内容が全編がぶっ通しで続く。

 

とにかく映像が全部主観視点なので止まると即かったるくなる。会話のシーンとかは目の前で人間が喋ってるだけになっちゃうからシャールト・コプリーがどんどん出てきて喋りながら動いたり死んだりしないと間が保たないし、それだって3分くらいが限度だ。だからこの映画では3分に一回は銃撃戦が発生し、走り回って鉄砲をバンバンぶっ放し、止まることなく人間を殺し続けるしかない! ストーリーなんかほとんど刺身のツマ、戦うことしか知らないマグロの改造人間みたいな映画だ。だからクイーンの「Don't stop me now」が流れるのか。今初めて知った。

 

そういう死ぬほど一本調子の映画なので、正直途中で飽きてくる。おまけに酔う。とにかく主観視点でグラグラ揺れまくる映像が大スクリーンで流れるので三半規管が弱い人間は確実にダメだ。大学時代にサークルの部室にあったプロジェクターで『サイレン』をプレイしたらその場にいた全員の気分が悪くなったことがあったけど、そんな感じに近い。「やっぱ人間安全に体験したいことっていえば暴力とエロでしょ。ヘイリー・ベネットの指舐めサイコー!」って意見には完全に同意だけど、それにしたってもうちょっとなんとかならんかったんかという気持ちになった。

 

ただ、オープニングの「HARDCORE HENRY」ってタイトルが出るところとサントラのセンスはめっちゃくちゃよかったです。あのオープニングだけもう一回見たい。現場からは以上です。

矢吹丈対キングコング 「キングコング 髑髏島の巨神」

※「キングコング 髑髏島の巨神」のネタバレをしておりますので気をつけてください

 

 

 

1970年代の前半、世界のいろいろなところで人類は挫折していた。アメリカはベトナムで挫折し、日本では新左翼が挫折し、ミュンヘンではオリンピックまで大変なことになった。ソ連が挫折するのはもうちょっと先だけど、なんとなくおしなべて「あ〜〜あ……」という空気が漂っていた。

 

そんな挫折まみれのシケた時代のド真ん中、米軍の撤退真っ最中のベトナムはダナン基地でやっぱり「あ〜〜あ……」とくすぶっている男が1人。ベトナムで猛威を振るった陸軍のヘリコプター部隊の将校、プレストン・パッカードことサミュエル・L・ジャクソンである。結局負け戦になっちゃったベトナムから撤退しても、その後の展望もなにもない。国に帰っても反戦運動家から石を投げられるだけ。もっと己の全てを賭けられるような戦場は、真っ白な灰になって燃え尽きることができるような相手はいないのか……。そんな彼の元に「今からちょっと南太平洋の孤島に調査にいく民間人を運んでくんね?」という任務が舞い込む。「もう一回遊べるドン!」とテンションの上がったサミュエルは嫌がる部下のケツを蹴り、UH-1に乗ってスカルアイランドという新たな戦場に赴くのだった。

 

島を取り囲む嵐の中をなんとか飛び越え、ブラックサバスをガンガン流しながらいい気になって爆弾なんかをポンポン落としちゃうサミュエル。しかしそこに巨大な丸太が飛んでくる! なすすべなくブチ落ちるUH -1! 驚愕するサミュエルの前に現れたのは、なんと全長30mを超える超巨大なゴリラだった……!! 目の前でどんどん撃墜される彼のヘリと彼の部下。こんなのベトナムでも見たことないぜ! サミュエルが乗っているヘリも叩き落とされ、彼は一敗地に塗れることになる。

 

その時まさに、サミュエルのハートに火がついてしまうのである。さながらベトナムという力石徹を失った矢吹丈みたいな状態だったサミュエルが、クソでかいゴリラ=コングというカーロス・リベラを目撃してしまったのだ! 完全になにかに取り憑かれた人間のテンションでコング追撃を決意するサミュエル。瞳はキラキラ、元気は100倍。サンドバッグに憎いあんちくしょうの顔が浮かんで消える。叩け! 叩け! 叩け!!

 

かわいそうなのはサミュエルの部下だ。もし矢吹丈に部下がいたらどんなことになるか、想像してみていただきたい。あんなにテンションが乱高下する上司、絶対に嫌だ。しかしサミュエルはヘリ部隊の将校である、矢吹丈なら振り回されるのは丹下のおっちゃんやマンモス西くらいだが、サミュエルは「帰りたい」と顔に書いてある部下の兵隊たちを引き連れ「西の山に武器を積んだヘリが落ちたから拾いに行くぞ!」とイヤ度1000パーセントの命令を出す。そう、全てはサミュエルが真っ白に燃え尽きるために……。

 

そんなわけででかい蜘蛛やでかいトカゲ(この映画は「生き物のサイズがでかくなるとキモくて怖い」という強力な理論で貫かれております)と戦い、ハチャメチャな犠牲を出しながらも武器を手に入れ、コング迎撃の準備を固めるサミュエル。そして実際に彼はコングをあと一歩のところまで追い詰める! しかしここでトム・ヒドルストンやカメラマンのおねーちゃんや第二次大戦中にスカル島に不時着したおっさんがワラワラと現れ、「おまえコングと戦うのやめろ」と止めに来るのである! まさに「お前のためを思って」とか言いながらいらんタイミングでタオルを投げようとする丹下段平、頼んでないのにパンチドランカーを疑って医者を呼んでくる白木葉子そのものである。ノーガード戦法を取りつつ「邪魔すんなよおっちゃん……こっちは男と男の勝負をしてるんだぜ」と嘯くサミュエル。おれもこのあたりのシーンは「邪魔すんじゃねえ! サミュエルが頑張ってるじゃねえか!」と喉元まで声が出そうになった。

 

得意のクロスカウンターとナパームを撒き散らして水面に火をつける戦術を駆使するも、邪魔が入ったことで結局はコングに敗北するサミュエル。しかしベトナムのような不完全燃焼ではなく、コングとの真剣勝負は彼を真っ白な灰になるまで燃え上がらせた……。「キングコング 髑髏島の巨神」でのサミュエル・L・ジャクソンは梶原イズムの継承者、黒い矢吹丈であったことは間違いない。「親のある奴はくにへ帰れ 俺とくる奴は狼だ 吠えろ! 吠えろ! 吠えろ! 俺らにゃ荒野がほしいんだ」という「あしたのジョー」2番の歌詞は、絶海の孤島でコングと真っ向から戦ったサミュエルのためのものなのだ。

滝山団地に行ってきた

 先週末の3月11日、東久留米のあたりにある巨大団地、滝山団地に行ってきた。なんでかというと、聖地巡礼である。

 

滝山コミューン一九七四 (講談社文庫)

滝山コミューン一九七四 (講談社文庫)

 

 

しばらく前に読んだ『滝山コミューン1974』という本がめちゃくちゃ強烈だったので、これは是非とも現場を見にいかねば!と思い、マイメンのブンちゃん(https://twitter.com/state_steven?lang=ja)といっしょに見に行ってきたのであります。

 

 『滝山コミューン1974』は1970年代にこの滝山団地に住み、団地に隣接した東久留米市立第七小学校に通っていた筆者が負ったトラウマと、それがいかにして生じたのかを綴った本だ。1970年代当時、民主的で集団行動に対して自覚的かつ自主的に取り組む子供を生み出すにはどうすればよいか、という命題に向かって教師と親が善意から愚直に学校のシステムに介入し、その結果著者やその他の子供達がどういう目にあったかが詳細に描かれている。その内容をここで一言で言い表すのは至難の業である。できれば本を買って読んでみてほしい。

 

 花小金井駅で降りて西武バスに揺られること20分あまり。滝山団地の入口で降りる。ブラブラ歩いていくと、そのうちに団地が見えてくる。

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 話に聞いてはいたが、滝山団地の威容は本当に凄まじい。歩いても歩いても同じ形の建物がずーーーっと続いて建っており、しかも周囲の住宅街とは隔絶した立地になっているので、団地の中にいる限り団地の建物以外がほとんど視界に入ってこない。いけどもいけども団地。遠近感が狂いそうになる。

 

 事前にブンちゃんと軽く話していたのが「団地の中に商店街のようなものがあるらしいので、せっかくだからそこで昼飯を食おう」という算段だった。しかしあまりにも団地ばかりでどこにそんな商店街があるのかわからない。ウロウロしているだけの我々を不審に思ったのか、自転車をひいたお婆さんが「どこのお宅を探してるの?」と話かけてきた。「昼飯を食おうと団地の商店街を探していまして……」と答える我々。

 

 「それならこっちだよ!」と道を教えてくれるお婆さん。どうやら歩いていく方向が同じようなので、三人でダラダラと歩いていく。道すがら聞けばお婆さんは40年前、団地ができた当初から住んでいるという。滝山団地は分譲と賃貸で区画が分かれており、全部の世帯数は4000あまり。お婆さんは今でも団地の自治会に属しており、その自治会は自由参加ながらいまだに1600世帯程度が参加しているという。4000! 途方も無い。

 

 お婆さんは一見すると70歳そこそこに見えたが、よくよく聞くとすでに80歳をまわっているという。それでも自転車をひいて自分で買い物に出向くのだから大したものだ。曰く、団地の自治会でも高齢化対策的な部署の設立を強く訴えかけ、自治会の選挙の上でその部署のトップに選ばれたのだと胸を張る。その話を聞いて内心おれは非常に興奮していた。なんせ『滝山コミューン1974』の非常に重要な要素として小学生の子供達が選挙によって相互に争い、生徒会の主要ポストをどのクラスが占めるかで追い詰められていく描写があったからだ。選挙! 高齢者だろうが小学生だろうが、滝山団地では全てに選挙が適用されるのである! 正直1970年代からの風習(?)がここまで色濃く残っているとは思わなかった。

 

 お婆さんに団地内の商店街付近で昼食をとれる場所がないか聞いてみると、「ドンキホーテ」という喫茶店がよいと教えてくれた。何十年も前だがその店にフォークソングのバンドを呼び、団地住人のレクリエーションを企画したことがあったのだという。フォーク! 住人のレクリエーション! そんなことをやっていたのか滝山団地。お婆さんの話を聞くと住人の相互理解と意識の統一を狙ったもののようだったが、近所の喫茶店に行くたびにそんなものに巻き込まれていてはたまらんなあ、としみじみ思った。「昔は住人で連れ立ってお茶を飲みに行くことも多かったからこのあたりには喫茶店も多かったけど、今ではドンキホーテだけになってしまった」というようなことをお婆さんは言っていた。そのレクリエーションに協力してくれたのが「二本松はじめ」という人で、当時は市の職員か何かだったが、今ではシンガーソングライター的な感じで全国を飛び回り平和のために頑張っているのだ、とお婆さんは熱っぽく語った。

 

 他は団地付近の公民館のような施設の中に喫茶店があるのだという。が、その店の話をする時にお婆さんのテンションが一段下がった。曰く、その店には行政的な雇用対策の一環として障害者が雇われており、その障害者が皿の置き方は荒いわ、客にお尻を向けてぼーっと立っているわで、非常に感じが悪いのだという。「こんなことを言うのはよくないけど」と前置きしつつ、お婆さんはその障害者の従業員に対する不満を我々2人に言い続けた。

 

 ここでおれはなんだかよくわからなくなってしまった。この人が言っていることはナチュラルな障害者差別である。しかし、この人は選挙と民主主義と日本国憲法を非常に強く推している人物であることは言葉の端々から伝わってきていた。にも関わらず、働いている障害者の勤務態度について雇用者でもないのに随分と文句を言っている。おそらくこのあたりの矛盾にこの人は気がついていない。ここでおれが「ちょっと変じゃないですか」と言っても特にどうもならない。それでもとにかく「なんとなくイヤな感じ」だけは残った。そりゃ確かにその従業員は本当に不快なのかもしれないが、それは別に障害者その人が悪いわけではないのかもしれない。そしてお婆さん自体も別に悪人ではない。なんせ通りすがりの不審な男の二人連れに道を案内してくれるほどなのである。なんだかなあ……。

 

 ウンウン唸りながらおばあさんと分かれて、教えてもらった「ドンキホーテ」へ向かう。その店は確かに1970年代から時間がとまったような店だった。

 

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 窓に輝く「ドン キホーテ」の文字。かわいい。

 

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 喉が渇いたのでビールを頼んだらカールスバーグが出てきて驚く。真ん中のはカツサンド。横に添えてあるピクルスの粋な感じが本当にグッとくる。

 

 このドンキホーテという喫茶店は喫茶店としての機能のほかかなりちゃんとした食事も出すパワーもあり、おまけに手塚治虫の漫画を多数揃えているという本当に素晴らしい店だった。オールドスクールな喫茶店の楽しいところ全部乗せみたいな店。

 

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 店先ではサンドイッチも売っている。包みのビニールの書体がかわいかったので満腹なのに卵サンドを買ってしまった。

 

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 腹が膨れたので団地の商店街に戻る。あまりにもファッション性がありすぎるクリーニング店の窓。この商店街は万事がこの調子で、本当に時が止まっている。

 

 一応聖地巡礼なので、『滝山コミューン1974』の主要な舞台である七小も見に行きたい、ということで道を間違えたりしつつダラダラ歩いて七小まで。校庭では少年野球の練習をやっていた。とにかく小学校自体が団地からすぐ近くの立地だったのに驚く。『滝山コミューン1974』には母親たちがPTAの活動に熱心になり、普段着のままで学校に詰めかけるという描写があったが、それもこの距離なら納得である。

 

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 七小の校門。さすがに中には入れなかったし、よく考えたら別にそんなに入りたくない。

 

 このあたりで飽きてきたので団地を離脱、帰りにホビーオフ(ブックオフのオモチャ・プラモデル版みたいなやつ)で山口勝久が原型をやってた時のケンシロウのフィギュアとタナカのグロック17のモデルガンなどを買い、所沢の世界の山ちゃんで手羽先を食って帰った。そして数日後の今日、二本松はじめさんが憲法の大事さや東京大空襲の悲惨さなどを歌っているアルバムを聞いて頭を抱えている。これらの曲を勧めつつ団地の自治会で根回ししたり立候補したことを誇り、なおかつ障害者の仕事ぶりをヤイヤイ言う心性は正直おれにはわからない。戦後民主主義って一体なんだったんだろうね……。とりあえず滝山コミューン現役世代は当時のノリのまんまバリバリやってるということだけはよくわかったのだった。

3/5に見た映画

アシュラ

極悪市長! 姑息な検察! ダーティコップと重病の妻! 陰謀! 癒着! 暴力! でかい鉈と手斧! 情念! 暴力!

……といった要素を全部ぶちこんでミキサーにかけて公衆便所の床(タイル張り)にぶちまけたようなド傑作。やっぱり韓国のヤクザ映画は暴力一発一発に到るまでの情念の積み重ね方が上手いですね。情念情念アンド暴力。親分に対するものや兄弟分に対するもの、浮世の義理が呼び寄せてしまったものやそれ以外。全てに対して「こうなることはわかっていた。これ以外にどうしようもなかった」という破局に向けて全力疾走するおっさんたちの姿が眩しすぎた一本。

 

 とにかく極悪な市長役のファン・ジョンミンが絶妙に悪くて、ニコニコしながら人間をバリバリ殺す指示を出せるおじさんの役だったんですけど、「ベテラン」のあの型破りな刑事と同一人物とはとても思えない極悪ぶりでした。あと主役の汚職警官がストーリーがすすむにつれてあからさまにくたびれていくのがすごくよかった。超悪い市長とクソみたいな検察の板挟みになる役なんでそりゃあくたびれてないとおかしいんですけど。あと、ストーリーを転がす小道具としてスマホがバリバリ登場するのが印象的でした。多分警察の仕事とかスマホなしでは成り立たないんだろうなあ。

 

 「新しき世界」より泥臭く、「県警対組織暴力」並みに面白い取り調べシーンがあり、血みどろの情念はてんこ盛り。破滅に向かって突き進む暴力暴走特急。最高でした。

 

お嬢さん

 日本統治下の朝鮮半島で女の性欲と女の性欲がぶつかり合う! ところがその背後には巨悪がいたので女の性欲がツープラトンでぶっつぶす! みたいな映画。

 

 なんとなくなんだけど、「座頭市対用心棒」というか「マジンガーZゲッターロボ」というか、そういう感じの印象があった映画なんだけど、女性同士の感情の機微を追いつつめっちゃエロいシーンもあり(レズセックスなんですよ、これが)。隣で見ていた韓国系の女子2人がケラケラ笑いながら見ていたのが印象的でした。

 

 しかし主役2人が統治側の男性によるクソどす黒い欲望(春画のテキストを音読させたりする)をすり抜けていく痛快なストーリーではあるのですが、その男性側のやらせていることがなんとなく馬鹿馬鹿しい感じに見えるように描写されていたのが印象的(自動障子開閉装置や体位再現用木人が天井から吊られて出てくるところなど)だったんだけど、あれ多分ガチで描写すると全く笑えない感じになるからなんだろうなあ、という感じ。多分なんというか、強姦に近い描写になりますよねあれ。まだ変な朗読会の描写で済ませたというのは、作り手側の気遣いだったのかなと思ったっす