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Everything's Gone Green

感想などです

ワイスピをスカイミッションまで連続で見た

「車に興味がない」という理由で今までワイスピを避けてたんだけど、アイスブレイクも公開されたし食わず嫌いもよくないなと思い、初代から7作目のスカイミッションまで、ちょいちょい休みを挟みつつ全部見た。

 

初代ワイスピを改めて見た時、正直めっちゃびっくりした。なんというか、おれがなんとなくイメージしていたワイスピは「頭があまりよろしくない上にどちらかといえば所得の低い人にもわかるようチューンされた、高級スポーツカーを使った悪ふざけ」というものだったんだけど、初代ワイスピはなんとストリートレースを軸にした潜入捜査ものだったのである。カーアクションも「でかいトレーラーの周りを車でぐるぐる回りながら銛を発射する」「ドアからぶら下がる」くらい。しかも終わり方も煮え切らない。少なくとも全然陽気な感じのラストじゃない。なんせ主人公の潜入捜査官ブライアンくんが捜査に失敗して警察をクビになって終わるのである。なんだこれと思った。

 

で、初代ワイスピが予想よりずっと地味で華がない映画だったので、逆にどうやったら「潜水艦が氷河をブチ破って飛び出し、ドウェイン・ジョンソンが魚雷を押し返す」という状況になるのか興味が出てきてしまったので全部見たわけである。

 

2作目は、もうこれはマイアミバイスのパロディだなとすぐわかった(ちなみに初代はハートブルーだよと教えてもらって後から合点がいった)。初代に続いて潜入捜査ものだったし。3作目は珍品ながら、まあ車を使ったベストキッドみたいなもんでしょう。日本の学校文化って外国から見るとああいう感じなのかと面白かったし、あとアメリカ人はあんまりドリフトに興味がないんだなというのもわかった。

 

問題は4本目の「ワイルド・スピード MAX」以降である。これまでの3作は、正直軸がブレブレだ。ここで「やっぱヴィン・ディーゼル出しとかねえとダメだわ」という点にみんな気がついたのであろう。ドムはやはりガンダムSEEDでいうキラ・ヤマトなのである。名前はドムだけど。シリーズ全体を支える大黒柱として、このMAXでヴィン・ディーゼルは再浮上を果たす。

 

MAXはシリーズにとって過渡期の映画だと思う。初期のちょっと真面目な雰囲気を残しつつ、カーアクション自体は飛躍的にハデになり、そしてその後のワイスピにとって重要な要素である「ファミリー」概念が前面に出始めている。

 

ワイスピにおける「ファミリー」概念は、平たくいっちゃうと「地元のツレ」の濃いめのやつである。つまりいつメンでありズッ友である。MAXでこの「ファミリー」概念が発掘されてしまい、そしてそれが案外ウケたのだろう。MEGA MAX以降のワイスピはいつものメンバーの人間関係が更新されたりひっくり返ったりしつつ、カーアクションのクソバカ加減だけがどんどんインフレするという方向に進化している。いつメンがズッ友のまま世界規模で大暴れするのがMEGA MAX以降のワイスピなのだ。

 

この「ファミリー」の概念、なんつっても日本人にもわかりやすい。「ファミリー」概念的なものはマイルドヤンキーやワンピースや湘南乃風や地方のショッピングモールのフードコートといった形で身の回りにたくさんある。しかし、ワイスピはその概念をめちゃくちゃ過剰に押し出しつつストーリーを先鋭化させた結果、ある種の詩情を感じさせるところまで到達している。例えばユーロミッションの、めちゃくちゃバカっぽい経緯で記憶を失ったレティと、その恋人であったドムがレースをすることで対話するシーン。あのレースのシーンはワイスピ史上最も美しいストリートレースである(そもそもMAX以降あんまりストリートレースやってないけど)。正直ベッタベタの展開ではあるのだが、おれはあそこで素直に感動してしまった。

 

また、その「ファミリー」概念の蓄積が最も物を言ったのはスカイミッションのラストだと思う。シリーズを一応全部見て、さらにポール・ウォーカーに何が起こったか知った上で、いつもの書体で「FOR PAUL」と画面に浮かび上がった時のエモさは凄まじい。あれはまさにいままでファミリーファミリーと事あるごとにしつこく言い続け、ドムの家の庭で肉を焼き続けてきたからこそ可能になった演出である。

 

おれの実家は岐阜県であり田舎でありヤンキー地帯だったので、こういう「ファミリー」的概念はあんまり好きじゃなかったし今でも苦手といえば苦手なんですが、ここまで徹底して「俺たちは家族だ」って毎回言われ、しかもそこをキーにして泣かしにかかられると「ちょっとわかる……」となってしまう。心の岐阜県民の部分が一定の理解を示しているのだ。少なくともなんでこのシリーズが毎回めちゃくちゃ稼いでいるのかの一端は理解できた。世の中、田舎者の方がずっと人数多いからね。そりゃお客さんも入りますわ。しかも作品ごとにアクションシーンは過剰になっているわけで、そりゃもうウケない要素がない。

 

というわけでスカイミッションまで見たので明日あたりアイスブレイクも見てこようと思います。めちゃくちゃ楽しみ。

4/8に見た映画

レゴ バットマン ザ・ムービー

ド傑作。ぶっちゃけ泣きながら見ました。

 

スーパーヒーローというのは必然的に孤独な存在である。なんせその他大勢と同質のヒーローが出てきてしまっては、それで完成するのはスーパーヒーロー映画ではなく戦争映画になってしまう。だからバットマンは必然的に孤独だ。家族を強盗に殺されているから新しく家族を作ることに対して臆病だし、ブルース・ウェインという正体を知られるわけにはいかない。

 

スーパーヒーローはそういう存在なので、必然的に同質のスーパーヒーロー同士でつるむことになる。ジャスティスリーグアベンジャーズや、とにかくそういう連中だ。『レゴ バットマン』のバットマンがすごいのは、そういうスーパーヒーロー同士の連帯からもその気難しさが原因で排除されている点だ。バットマンは誰とも連帯できず、家族もいない。唯一彼のために気を揉んでいるのは執事のアルフレッドくらい。

 

そんな彼との連帯を望む存在として現れるのがジョーカーだ。アメコミほど「悪とはなにか」ということについて継続的にアップデートが繰り返されてきたジャンルも珍しい。なんせ悪がいなくては正義は成り立たない。住人全員が善人のゴッサムにはバットマンは不要だ。だから『レゴ バットマン』ではジョーカーはバットマンに対して「お前はおれにとって特別な存在だ。お前にとってのおれもそうだろう?」と質問する。が、バットマンは「いや、別にそんなことないし、そこまでお前のことを考えたこともないわ」とジョーカーとの関係を否定する。バットマンは他人と継続的な関係を築くことに恐怖しているからである。そういう意味で、「レゴ バットマン」のバットマンバットマン映画史上最も扱いにくく、純度の高いバットマンである。なんせ彼はサイドキックの存在すら認めないし、連帯しようとした新警察署長バーバラ・ゴードンすらはねつけ、バットケイブに立てこもる。

 

この「レゴ バットマン ザ・ムービー」は、バットマン最大の敵である"自らの孤独"に対し、バットマンたちが如何にして戦いを挑むかという映画だ。実際どうやって立ち向かったかは書かないけど、途中の流れはもう涙無くしては見られない。もちろんレゴ ムービーらしい楽屋オチやメタネタのパロディやワーナーの懐の深さをうかがい知れる悪役陣などオタク大喜びのギャグも満載だけど、全体には上記のテーマが通底しているので、人付き合いが嫌いなオタク(おれ含む)なら刺さる内容であることは間違いない。ド傑作でした。

 

ハードコア

全編主観視点の映画があったらすごくねえ!?という、CoDとかHALOとかをプレイしすぎて頭が悪くなったオタクの一発芸みたいな映画。だが90分もある。

 

日本において主観視点の映像といえば上記のようなFPSゲームとある種のアダルトビデオ(なんかこう、風俗店のプレイを模してるやつとか女優さんがたくさん出てくるやつとか、「ひょっとしたらおれもこういう体験ができそう」もしくは「死ぬまでに一回くらいはこういう目に遭ってみたい」という内容のものが多いですね)なわけですが、この映画もその2ジャンルにすっぽりそのまま当てはまる内容。つまり、動いて暴れて銃をぶっ放して人間を殺すか、R15で上映できるくらいのエロい目に遭うかという、動物かよという感じの内容が全編がぶっ通しで続く。

 

とにかく映像が全部主観視点なので止まると即かったるくなる。会話のシーンとかは目の前で人間が喋ってるだけになっちゃうからシャールト・コプリーがどんどん出てきて喋りながら動いたり死んだりしないと間が保たないし、それだって3分くらいが限度だ。だからこの映画では3分に一回は銃撃戦が発生し、走り回って鉄砲をバンバンぶっ放し、止まることなく人間を殺し続けるしかない! ストーリーなんかほとんど刺身のツマ、戦うことしか知らないマグロの改造人間みたいな映画だ。だからクイーンの「Don't stop me now」が流れるのか。今初めて知った。

 

そういう死ぬほど一本調子の映画なので、正直途中で飽きてくる。おまけに酔う。とにかく主観視点でグラグラ揺れまくる映像が大スクリーンで流れるので三半規管が弱い人間は確実にダメだ。大学時代にサークルの部室にあったプロジェクターで『サイレン』をプレイしたらその場にいた全員の気分が悪くなったことがあったけど、そんな感じに近い。「やっぱ人間安全に体験したいことっていえば暴力とエロでしょ。ヘイリー・ベネットの指舐めサイコー!」って意見には完全に同意だけど、それにしたってもうちょっとなんとかならんかったんかという気持ちになった。

 

ただ、オープニングの「HARDCORE HENRY」ってタイトルが出るところとサントラのセンスはめっちゃくちゃよかったです。あのオープニングだけもう一回見たい。現場からは以上です。

矢吹丈対キングコング 「キングコング 髑髏島の巨神」

※「キングコング 髑髏島の巨神」のネタバレをしておりますので気をつけてください

 

 

 

1970年代の前半、世界のいろいろなところで人類は挫折していた。アメリカはベトナムで挫折し、日本では新左翼が挫折し、ミュンヘンではオリンピックまで大変なことになった。ソ連が挫折するのはもうちょっと先だけど、なんとなくおしなべて「あ〜〜あ……」という空気が漂っていた。

 

そんな挫折まみれのシケた時代のド真ん中、米軍の撤退真っ最中のベトナムはダナン基地でやっぱり「あ〜〜あ……」とくすぶっている男が1人。ベトナムで猛威を振るった陸軍のヘリコプター部隊の将校、プレストン・パッカードことサミュエル・L・ジャクソンである。結局負け戦になっちゃったベトナムから撤退しても、その後の展望もなにもない。国に帰っても反戦運動家から石を投げられるだけ。もっと己の全てを賭けられるような戦場は、真っ白な灰になって燃え尽きることができるような相手はいないのか……。そんな彼の元に「今からちょっと南太平洋の孤島に調査にいく民間人を運んでくんね?」という任務が舞い込む。「もう一回遊べるドン!」とテンションの上がったサミュエルは嫌がる部下のケツを蹴り、UH-1に乗ってスカルアイランドという新たな戦場に赴くのだった。

 

島を取り囲む嵐の中をなんとか飛び越え、ブラックサバスをガンガン流しながらいい気になって爆弾なんかをポンポン落としちゃうサミュエル。しかしそこに巨大な丸太が飛んでくる! なすすべなくブチ落ちるUH -1! 驚愕するサミュエルの前に現れたのは、なんと全長30mを超える超巨大なゴリラだった……!! 目の前でどんどん撃墜される彼のヘリと彼の部下。こんなのベトナムでも見たことないぜ! サミュエルが乗っているヘリも叩き落とされ、彼は一敗地に塗れることになる。

 

その時まさに、サミュエルのハートに火がついてしまうのである。さながらベトナムという力石徹を失った矢吹丈みたいな状態だったサミュエルが、クソでかいゴリラ=コングというカーロス・リベラを目撃してしまったのだ! 完全になにかに取り憑かれた人間のテンションでコング追撃を決意するサミュエル。瞳はキラキラ、元気は100倍。サンドバッグに憎いあんちくしょうの顔が浮かんで消える。叩け! 叩け! 叩け!!

 

かわいそうなのはサミュエルの部下だ。もし矢吹丈に部下がいたらどんなことになるか、想像してみていただきたい。あんなにテンションが乱高下する上司、絶対に嫌だ。しかしサミュエルはヘリ部隊の将校である、矢吹丈なら振り回されるのは丹下のおっちゃんやマンモス西くらいだが、サミュエルは「帰りたい」と顔に書いてある部下の兵隊たちを引き連れ「西の山に武器を積んだヘリが落ちたから拾いに行くぞ!」とイヤ度1000パーセントの命令を出す。そう、全てはサミュエルが真っ白に燃え尽きるために……。

 

そんなわけででかい蜘蛛やでかいトカゲ(この映画は「生き物のサイズがでかくなるとキモくて怖い」という強力な理論で貫かれております)と戦い、ハチャメチャな犠牲を出しながらも武器を手に入れ、コング迎撃の準備を固めるサミュエル。そして実際に彼はコングをあと一歩のところまで追い詰める! しかしここでトム・ヒドルストンやカメラマンのおねーちゃんや第二次大戦中にスカル島に不時着したおっさんがワラワラと現れ、「おまえコングと戦うのやめろ」と止めに来るのである! まさに「お前のためを思って」とか言いながらいらんタイミングでタオルを投げようとする丹下段平、頼んでないのにパンチドランカーを疑って医者を呼んでくる白木葉子そのものである。ノーガード戦法を取りつつ「邪魔すんなよおっちゃん……こっちは男と男の勝負をしてるんだぜ」と嘯くサミュエル。おれもこのあたりのシーンは「邪魔すんじゃねえ! サミュエルが頑張ってるじゃねえか!」と喉元まで声が出そうになった。

 

得意のクロスカウンターとナパームを撒き散らして水面に火をつける戦術を駆使するも、邪魔が入ったことで結局はコングに敗北するサミュエル。しかしベトナムのような不完全燃焼ではなく、コングとの真剣勝負は彼を真っ白な灰になるまで燃え上がらせた……。「キングコング 髑髏島の巨神」でのサミュエル・L・ジャクソンは梶原イズムの継承者、黒い矢吹丈であったことは間違いない。「親のある奴はくにへ帰れ 俺とくる奴は狼だ 吠えろ! 吠えろ! 吠えろ! 俺らにゃ荒野がほしいんだ」という「あしたのジョー」2番の歌詞は、絶海の孤島でコングと真っ向から戦ったサミュエルのためのものなのだ。

滝山団地に行ってきた

 先週末の3月11日、東久留米のあたりにある巨大団地、滝山団地に行ってきた。なんでかというと、聖地巡礼である。

 

滝山コミューン一九七四 (講談社文庫)

滝山コミューン一九七四 (講談社文庫)

 

 

しばらく前に読んだ『滝山コミューン1974』という本がめちゃくちゃ強烈だったので、これは是非とも現場を見にいかねば!と思い、マイメンのブンちゃん(https://twitter.com/state_steven?lang=ja)といっしょに見に行ってきたのであります。

 

 『滝山コミューン1974』は1970年代にこの滝山団地に住み、団地に隣接した東久留米市立第七小学校に通っていた筆者が負ったトラウマと、それがいかにして生じたのかを綴った本だ。1970年代当時、民主的で集団行動に対して自覚的かつ自主的に取り組む子供を生み出すにはどうすればよいか、という命題に向かって教師と親が善意から愚直に学校のシステムに介入し、その結果著者やその他の子供達がどういう目にあったかが詳細に描かれている。その内容をここで一言で言い表すのは至難の業である。できれば本を買って読んでみてほしい。

 

 花小金井駅で降りて西武バスに揺られること20分あまり。滝山団地の入口で降りる。ブラブラ歩いていくと、そのうちに団地が見えてくる。

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 話に聞いてはいたが、滝山団地の威容は本当に凄まじい。歩いても歩いても同じ形の建物がずーーーっと続いて建っており、しかも周囲の住宅街とは隔絶した立地になっているので、団地の中にいる限り団地の建物以外がほとんど視界に入ってこない。いけどもいけども団地。遠近感が狂いそうになる。

 

 事前にブンちゃんと軽く話していたのが「団地の中に商店街のようなものがあるらしいので、せっかくだからそこで昼飯を食おう」という算段だった。しかしあまりにも団地ばかりでどこにそんな商店街があるのかわからない。ウロウロしているだけの我々を不審に思ったのか、自転車をひいたお婆さんが「どこのお宅を探してるの?」と話かけてきた。「昼飯を食おうと団地の商店街を探していまして……」と答える我々。

 

 「それならこっちだよ!」と道を教えてくれるお婆さん。どうやら歩いていく方向が同じようなので、三人でダラダラと歩いていく。道すがら聞けばお婆さんは40年前、団地ができた当初から住んでいるという。滝山団地は分譲と賃貸で区画が分かれており、全部の世帯数は4000あまり。お婆さんは今でも団地の自治会に属しており、その自治会は自由参加ながらいまだに1600世帯程度が参加しているという。4000! 途方も無い。

 

 お婆さんは一見すると70歳そこそこに見えたが、よくよく聞くとすでに80歳をまわっているという。それでも自転車をひいて自分で買い物に出向くのだから大したものだ。曰く、団地の自治会でも高齢化対策的な部署の設立を強く訴えかけ、自治会の選挙の上でその部署のトップに選ばれたのだと胸を張る。その話を聞いて内心おれは非常に興奮していた。なんせ『滝山コミューン1974』の非常に重要な要素として小学生の子供達が選挙によって相互に争い、生徒会の主要ポストをどのクラスが占めるかで追い詰められていく描写があったからだ。選挙! 高齢者だろうが小学生だろうが、滝山団地では全てに選挙が適用されるのである! 正直1970年代からの風習(?)がここまで色濃く残っているとは思わなかった。

 

 お婆さんに団地内の商店街付近で昼食をとれる場所がないか聞いてみると、「ドンキホーテ」という喫茶店がよいと教えてくれた。何十年も前だがその店にフォークソングのバンドを呼び、団地住人のレクリエーションを企画したことがあったのだという。フォーク! 住人のレクリエーション! そんなことをやっていたのか滝山団地。お婆さんの話を聞くと住人の相互理解と意識の統一を狙ったもののようだったが、近所の喫茶店に行くたびにそんなものに巻き込まれていてはたまらんなあ、としみじみ思った。「昔は住人で連れ立ってお茶を飲みに行くことも多かったからこのあたりには喫茶店も多かったけど、今ではドンキホーテだけになってしまった」というようなことをお婆さんは言っていた。そのレクリエーションに協力してくれたのが「二本松はじめ」という人で、当時は市の職員か何かだったが、今ではシンガーソングライター的な感じで全国を飛び回り平和のために頑張っているのだ、とお婆さんは熱っぽく語った。

 

 他は団地付近の公民館のような施設の中に喫茶店があるのだという。が、その店の話をする時にお婆さんのテンションが一段下がった。曰く、その店には行政的な雇用対策の一環として障害者が雇われており、その障害者が皿の置き方は荒いわ、客にお尻を向けてぼーっと立っているわで、非常に感じが悪いのだという。「こんなことを言うのはよくないけど」と前置きしつつ、お婆さんはその障害者の従業員に対する不満を我々2人に言い続けた。

 

 ここでおれはなんだかよくわからなくなってしまった。この人が言っていることはナチュラルな障害者差別である。しかし、この人は選挙と民主主義と日本国憲法を非常に強く推している人物であることは言葉の端々から伝わってきていた。にも関わらず、働いている障害者の勤務態度について雇用者でもないのに随分と文句を言っている。おそらくこのあたりの矛盾にこの人は気がついていない。ここでおれが「ちょっと変じゃないですか」と言っても特にどうもならない。それでもとにかく「なんとなくイヤな感じ」だけは残った。そりゃ確かにその従業員は本当に不快なのかもしれないが、それは別に障害者その人が悪いわけではないのかもしれない。そしてお婆さん自体も別に悪人ではない。なんせ通りすがりの不審な男の二人連れに道を案内してくれるほどなのである。なんだかなあ……。

 

 ウンウン唸りながらおばあさんと分かれて、教えてもらった「ドンキホーテ」へ向かう。その店は確かに1970年代から時間がとまったような店だった。

 

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 窓に輝く「ドン キホーテ」の文字。かわいい。

 

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 喉が渇いたのでビールを頼んだらカールスバーグが出てきて驚く。真ん中のはカツサンド。横に添えてあるピクルスの粋な感じが本当にグッとくる。

 

 このドンキホーテという喫茶店は喫茶店としての機能のほかかなりちゃんとした食事も出すパワーもあり、おまけに手塚治虫の漫画を多数揃えているという本当に素晴らしい店だった。オールドスクールな喫茶店の楽しいところ全部乗せみたいな店。

 

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 店先ではサンドイッチも売っている。包みのビニールの書体がかわいかったので満腹なのに卵サンドを買ってしまった。

 

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 腹が膨れたので団地の商店街に戻る。あまりにもファッション性がありすぎるクリーニング店の窓。この商店街は万事がこの調子で、本当に時が止まっている。

 

 一応聖地巡礼なので、『滝山コミューン1974』の主要な舞台である七小も見に行きたい、ということで道を間違えたりしつつダラダラ歩いて七小まで。校庭では少年野球の練習をやっていた。とにかく小学校自体が団地からすぐ近くの立地だったのに驚く。『滝山コミューン1974』には母親たちがPTAの活動に熱心になり、普段着のままで学校に詰めかけるという描写があったが、それもこの距離なら納得である。

 

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 七小の校門。さすがに中には入れなかったし、よく考えたら別にそんなに入りたくない。

 

 このあたりで飽きてきたので団地を離脱、帰りにホビーオフ(ブックオフのオモチャ・プラモデル版みたいなやつ)で山口勝久が原型をやってた時のケンシロウのフィギュアとタナカのグロック17のモデルガンなどを買い、所沢の世界の山ちゃんで手羽先を食って帰った。そして数日後の今日、二本松はじめさんが憲法の大事さや東京大空襲の悲惨さなどを歌っているアルバムを聞いて頭を抱えている。これらの曲を勧めつつ団地の自治会で根回ししたり立候補したことを誇り、なおかつ障害者の仕事ぶりをヤイヤイ言う心性は正直おれにはわからない。戦後民主主義って一体なんだったんだろうね……。とりあえず滝山コミューン現役世代は当時のノリのまんまバリバリやってるということだけはよくわかったのだった。

3/5に見た映画

アシュラ

極悪市長! 姑息な検察! ダーティコップと重病の妻! 陰謀! 癒着! 暴力! でかい鉈と手斧! 情念! 暴力!

……といった要素を全部ぶちこんでミキサーにかけて公衆便所の床(タイル張り)にぶちまけたようなド傑作。やっぱり韓国のヤクザ映画は暴力一発一発に到るまでの情念の積み重ね方が上手いですね。情念情念アンド暴力。親分に対するものや兄弟分に対するもの、浮世の義理が呼び寄せてしまったものやそれ以外。全てに対して「こうなることはわかっていた。これ以外にどうしようもなかった」という破局に向けて全力疾走するおっさんたちの姿が眩しすぎた一本。

 

 とにかく極悪な市長役のファン・ジョンミンが絶妙に悪くて、ニコニコしながら人間をバリバリ殺す指示を出せるおじさんの役だったんですけど、「ベテラン」のあの型破りな刑事と同一人物とはとても思えない極悪ぶりでした。あと主役の汚職警官がストーリーがすすむにつれてあからさまにくたびれていくのがすごくよかった。超悪い市長とクソみたいな検察の板挟みになる役なんでそりゃあくたびれてないとおかしいんですけど。あと、ストーリーを転がす小道具としてスマホがバリバリ登場するのが印象的でした。多分警察の仕事とかスマホなしでは成り立たないんだろうなあ。

 

 「新しき世界」より泥臭く、「県警対組織暴力」並みに面白い取り調べシーンがあり、血みどろの情念はてんこ盛り。破滅に向かって突き進む暴力暴走特急。最高でした。

 

お嬢さん

 日本統治下の朝鮮半島で女の性欲と女の性欲がぶつかり合う! ところがその背後には巨悪がいたので女の性欲がツープラトンでぶっつぶす! みたいな映画。

 

 なんとなくなんだけど、「座頭市対用心棒」というか「マジンガーZゲッターロボ」というか、そういう感じの印象があった映画なんだけど、女性同士の感情の機微を追いつつめっちゃエロいシーンもあり(レズセックスなんですよ、これが)。隣で見ていた韓国系の女子2人がケラケラ笑いながら見ていたのが印象的でした。

 

 しかし主役2人が統治側の男性によるクソどす黒い欲望(春画のテキストを音読させたりする)をすり抜けていく痛快なストーリーではあるのですが、その男性側のやらせていることがなんとなく馬鹿馬鹿しい感じに見えるように描写されていたのが印象的(自動障子開閉装置や体位再現用木人が天井から吊られて出てくるところなど)だったんだけど、あれ多分ガチで描写すると全く笑えない感じになるからなんだろうなあ、という感じ。多分なんというか、強姦に近い描写になりますよねあれ。まだ変な朗読会の描写で済ませたというのは、作り手側の気遣いだったのかなと思ったっす

2/26に見た映画

このエントリはトリプルX;再起動とマン・ダウンのネタバレを含みます! 注意してください!!

 

トリプルX:再起動

 トリプルX ネクストレベルで「ザンダー? アイツ死んだよ?」って言われてしまったヴィン・ディーゼルことザンダー・ケイジさんは実は生きていた! 今度の敵はドニーさんと女スパイとトニー・ジャーと、あとなんか力持ちっぽい大柄な人だ! だからザンダーさんも仲間を集めた! 仲間は女スナイパーとパリピとキチガイのスタントマンだ! 自家用大型輸送機を乗り回して南国とかで戦うぜ! という映画。

 

 例によってドゥンドゥン鳴り響く音楽にのっていろいろエクストリームな種目にザンダーさんが挑戦し、世界は救われるのだが、この映画で衝撃的なのが「製作陣がトリプルX ネクストレベルのことを忘れていなかった」という点である。トリプルX ネクストレベルは初代トリプルXの続編として製作され、主演は元N,W,A、現俳優のアイス・キューブ。盗難車を乗り回した黒人たちがアメリカの国会議事堂を包囲する名場面は涙なしでは見られない、人種問題を逆手にとった快作なのだけど、日本ではDVDスルーだった映画だ。

 

 今回の主演がヴィン・ディーゼルだっていうから、ネクストレベルの二代目トリプルXであるダリアス・ストーンことアイス・キューブはなかったことになっちゃったのかな〜〜〜〜と思ってたんだけど、なんと! めちゃくちゃいいタイミングで! ストーンが出てくるんですよ! 「再起動」で! グレネードランチャー片手に! 正直前半戦は見ててかったるいし映画館でちょっと寝ちゃったんだけど、このダリアス・ストーン登場シーンだけでおれは全てを許しましたね。トリプルXシリーズを見続けていて(今作を入れても3本しかないけど)よかった……。

 

 しかしそれにしてもトリプルXの仲間増えすぎというか、「お前もお前もお前もトリプルX!」ってそんなガバガバな認定基準でいいのか、プリパラにおける「アイドル」くらいのユルさになってないか、とは思いました、さすがに。これじゃあお前ワイスピと見分けがつかねえよ、と思ったんだけど、これアレか、ワイスピのシリーズ終了後にはこっちで稼ぐつもりかヴィン・ディーゼル。さすがですね。

 

 あとメガネ着用でクソ早口のオタク女子(007でいうQの役)で出てきたニーナ・ドブレフが死ぬほどかわいかったです。以上。

 

マン・ダウン

 アフガニスタンからの帰還兵であるシャイア・ラブーフが家に帰ってきたらなんかアメリカ全土が焦土と化しててなんで? 息子と嫁はどこ行った? って右往左往すると同時に、彼がアフガンでなにを見たのかが徐々に明らかになるという映画。

 

 あらすじを読んだだけで「ははあ、なるほど、兵隊のPTSDを扱った映画なのね」と大体予想はつくんだけど、そのネタが割れてからの「で結局この映画どこに決着するの……?」という、観客の揺さぶり方がうまかった。髭面のシャイア・ラブーフが完全に錯乱して大暴れしつつも、基本的には帰還兵問題のアレなところを延々見せられる映画。やっぱ戦争よくないですね、マジで。

2/18に見た映画

愚行録

 いわゆるイヤミス(っていうらしいっすね、最近は)的な映画なんだけど、突出して後味が悪くて楽しくなってしまった。とにかく撮影が抜群にうまくて、冒頭のバスのくだりとかは唸ってしまった。主人公である取材者が関係者に色々聞いていくことで平和な家族が皆殺しにされた事件の真相が明らかになっていく……という、「凶悪」とかと似通った作りの映画ではあるんだけど、その関係者の話というのがほとんどはてな匿名ダイアリーに書いてあるような、瑣末なんだけど人間関係のエグみに満ちた内容のものばかりで、見ていて大変楽しい。ほとんど増田殺人事件である。加えて「不注意で自分の名刺の名刺の上に酒のグラスを置かれてしまう」「これから話す人間が部下に対してけっこうねちっこく叱責をしている現場を見てしまう」といった小粒だけど気になる細かくイヤなシーンの入れ込み方がすごくよくて、ああ、いやだなあ、これは本当にいやだなあ、とニコニコしながら見てしまった。

 

 あと、満島ひかりはすごいですね。劇中の満島ひかりの喋り方が全部句読点の打ち方がおかしいというか、息継ぎのタイミングがすごく変で、ぱっと見普通なのに完全に頭のネジが外れている人っぽい話し方になっててほんとすっげえなと思いました。

 

ナイスガイズ!

 監督シェーン・ブラック、製作ジョエル・シルバーということで、まあこの時点で一定以上は面白いでしょ、という映画。最近は「おれはおっさん2人がイチャイチャしながら巨悪と戦う映画とかが好きなんだよ!」と言ってもキモがられないからいいんですけど、おっさん2人がイチャイチャしながら巨悪と戦う映画です。とにかく「人が死んだり痛い目にあうシーンを面白く演出してやろう」という意図がビリビリ感じられて愉快。あと1977年って時代設定とそこからくる物語上の展開も絶妙に上手い。

 

 本作でのラッセル・クロウなんだけど、とにかく腕っ節でトラブルを解決する何でも屋みたいな役で、これがなんというか、『あしたのジョー』のゴロマキ権藤と野生のヒグマの合体超人みたいなタフさ&体格で、異常にパンチ力のある森のクマさんという感じ。それがヒョロヒョロで口だけは達者なライアン・ゴズリングとコンビを組んでドタバタするんだから楽しいったらない。ライアン・ゴズリング演じるダメ探偵の娘役のアンガーリー・ライスちゃんもめちゃくちゃキュートではありますが、とにかくおっさん2人がワチャワチャしてる絵面の方がキュートさでは上だったかな……という感じ。面白かったです。

 

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ヒグマ。

 

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ゴロマキ権藤。

 

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そしてジャクソン・ヒーリー(ラッセル・クロウ)。

 

似てると思うんですけどね。